DJ KRUSH~世界のDJの頂点に立つ~

DJ KRUSHの音楽は、この上なく幸福な音風景を見せてくれる。彼の作り出す音楽は実験的で、ボーカルの滑らかなミックス(※2)、ソウル音楽のテクスチュア(※3)、ラップ音楽、ビート、ライブでの楽器演奏などが、淀みなく調和され響き合う。
音楽のジャンルにはまらない自由な音の混成は、限りなく実験的であり、彼が影響を受けたジャズやオールド・テクノ(※4)、ハウス、ロック、レゲエなどの音楽が程良く調和され、アブストラクト・ヒップホップ(※5)の世界において、DJ KRUSHを一躍有名にした。
今や日本のヒップホップ界の頂点を極め、DJ KRUSHを追随する人が後を絶たない。彼の申し分のない技術力は、世界中の人々を魅了している。
ある暑い夏の午後、都心のホテルでDJ  KRUSHにお会いする機会を得た。彼は、とてもリラックスしていて下町特有のユーモアに溢れ、すぐにこちらまでリラックスでき、温かい気持ちにさせてくれた。
まるで、下町の職人のように、ターンテーブルを操ることに一切の神経を集中させる彼のステージ上での振舞いとは違い、実際にお会いした彼は、話し好きで、愛嬌があり、絶え間なく冗談を言う人であった。
世界ツアーの合間にお会いした彼は、その絶大なる人気を楽しんでいるようでもあった。彼のDJとしての歴史は、ある映画館での出会いから始まる。
まだ10代の若者であったDJ KRUSHは、アメリカ映画『ワイルド・スタイル』の中に登場する、ヒップホップの創始に関わる重要なアーティストであり、オールドスクール・ヒップホップ(※6)の神様であるGrandmaster Flashを見てから、すっかりヒップホップの世界に夢中になった。映画では、ストリートならではの美意識、地下鉄のスナップ写真、ブレークダンス(※7)、自由なスタイルのMC(※8)などのヒップホップ文化が描かれている。
「音楽が本当に好きで、中学でもバンド活動をしていたけど、本当に好きな音楽に出会うことができなかった。『ワイルド・スタイル』を見た時の衝撃は計り知れない。ターンテーブルやレコードなど家にあるものですぐに始められる。父がレコードをたくさん持っていたからね。映画からは、ストリートの空気を感じることができた」
1987年、DJ KRUSHはKRUSH POSSEを結成した。瞬く間に人気となり、当時、日本で最も成功したヒップホップグループとして広く認知された。人気絶頂であったにも関わらず、90年代初頭にはグループを解散し、DJ KRUSHは、ソロとしての活動を始めた。
DJ KRUSHは、日本でターンテーブルを楽器として操るDJの先駆者として注目を浴びた。DJに関する情報がそれほど多くなかった20年以上前から、彼は、ステージで数々のミュージシャンと自由なセッションを行ってきた。今では、DMC(Digital Mixing Console)(※9)を学べる、各種コースを設ける学校まである。
「僕がDJを始めた当時は、情報を得るのに苦労したものだけど、今では、DJについて学べる学校まであるなんてね!当時の僕は、ビデオを買って、DJがスクラッチ(※10)するのを何回も見ながら練習したものだよ。そうやって、DJについて学んでいったんだ。当時も、ミキサーを買うことはできたけど、『ワイルド・スタイル』で使っているものを手に入れるのは難しかった。結局、違った機種を買ったけど、いろいろと試行錯誤をしていたのを覚えている」
DJ KRUSHの経験を考慮しても、ビートのミキシング(※11)の卓越した技術は、圧巻としか言いようがない。日本のヒップホップの大家のライブには、まるで、催眠術をかけられたように魅了されてしまう。彼は、異なった種類のブレイクビーツ(※12)を綿密に再構成する。畏敬すべき彼のスクラッチ技術は、『禅マスター』とのあだ名を与え、日本のみならず、アメリカやヨーロッパのクラブやバルセロナで開催されるSonarのような音楽フェスティバルで、DJ KRUSHの演奏を耳にすることができる。
ターンテーブリストとして活躍する一方で、DJ KRUSHは、日本のヒップホップ界でプロデューサーとして活動することの重要性を感じ、1992年、デビューアルバム『KRUSH』をリリースした。続いて、トリップ・ホップ(※13)の熱烈な支持者であるJames Lavelleが持つレーベルMO’WAXよりアルバム『STRICTLY TURNTABLIZED』をリリースし、人気を博した。Columbia RecordsやIsland Recordsなどのレーベルからもアルバムをリリースし、1999年には、Sony Recordsとも契約を交わしている。
DJ KRUSHが作り出す音楽は、ダウン・テンポで情感に溢れており、音のテクスチュアは、荘厳な旅をしているようだ。様々な音源をサンプリング(※14)しており、アーティストとコラボレートするのが好きな彼は、実に様々な才能あるアーティストたちとコラボレートしている。DJ Shadowを始め、Gang StarrのGuru、Mos Def、DJ Cam、MC Black Thought、Questloveとして知られるドラマーのAhmir Khalib Thompson (The Rootsのドラマーとしても有名である)、ナイジェリア出身のパーカッショニストTunde Ayanyemi、Company Flowなどである。
DJ KRUSHは、Miles   Davis、James  Brown、大阪出身のバンドBOREDOMSなどのリミックス(※15)も手掛け、ColdcutやDJ Vadimなどともコラボレートしている。DJ KRUSHの作品は、Zap MamaやBrand New HeaviesのボーカルN’Dea Davenport、Deborah Andersonなどの官能的な声が特徴の女性ボーカルをフィーチャーしているものも数多くある。
彼のアルバムのタイトルは、漢字一文字で表したものが多い。また、レコードジャケットには、ニューヨークの伝説的グラフィティ・アーティストFUTURA2000やイギリスのデザイナーBen Druryの作品が使われている。ミュージック・ビデオの映像もまた美しい。DJ KRUSHにとって、これらは、音楽と同様に大切な要素なのだという。昨今のMP3革命は、彼にとって、憂えるべきことなのだという。
「今では、どこでも音楽をダウンロードすることができる」DJ KRUSHは、ため息混じりに言った。「ひどいことに、何曲もの楽曲で編成されているアルバムから、一曲だけをダウンロードすることすらできる。一つのファイルだと、そのアルバムの価値を正当に評価できなくなる恐れがある。僕たちがアルバムを制作する時、CDジャケットやレコードのビニールジャケットも手に触れることのできる作品の一つの形態として、大切に制作するんだ。
楽曲のファイルをダウンロードする時、もちろんジャケットもダウンロードすることができる。でも、それはとても小さく、手に持つこともできない。悲しい気持ちになるよ」
DJ KRUSHは、一晩中スタジオにこもり、音の質を少しでも高めるため、レコーディングを繰り返すという。ほとんどの楽曲は、コンピューターで制御されたスピーカーから音が出される。このことも、憂鬱な気分にさせることだと、彼は語る。
「それでは、音楽の本物の音質を聴くことはできない。日本では、携帯で音楽を聴く人がいるけれど、あんな安っぽい音で聴いているのは、本当にかわいそうなことだと思う。アナログ特有の温かい音があるし、それは、デジタルでは再現できないことだと思うんだよね。まったく次元の異なることだと思う。音楽を作る立場から言わせてもらうと、ちょっと悲しいことだよね。でも、便利な側面もあるから、とても複雑な気分だよ」

DJ KRUSHと話をしていると、とても謙虚な人間であることがわかる。彼は、20年後も、「まだ自分のスタイルを追い求めていると思う」と語った。控え目な態度を持つことで知られる彼は、男らしさを伴うヒップホップの世界においては、対照的な性格と言えるかも知れない。
DJ KRUSHは、音楽をとても尊敬している。「音楽は、とてつもなく大きな存在だけど、きっと死ぬまでその本質を掴み取ることはできないんだろうね。自分から音楽を取り去ったら、僕は空っぽの人間になってしまう。ただのオヤジだよ」
若い頃、暴力団員だったDJ KRUSHは、音楽との出会いによって救われたに違いない。彼にとって、それは本当に音楽かすべてを失うことだったのだ。過去について尋ねてみると、彼はげらげらと高笑いした。
「おお!マジ!この話題について切り出されると思ったよ。ひどい暴漢だったけど、それは、若い頃の話ね。当時は、何がしたいのかわからず、いつも悪さばかりしてた。きっと、そういう形で生きていることを主張したかったんだろうね」
しかし、悪いことばかりだったのだろうか。ヤクザとしての生活は、今の人生に良い影響を及ぼしてはいないのだろうか。「あの世界での敬語やヒエラルキーは、とても偏っていて、年齢は全く関係ない。それに、あの世界では、勝ち残って上に這い上がろうという意識がものすごくある。だから、ヤクザの世界に溺れてはいたけれど、自分にしかできないことをしていこうと気付かせてくれたのは、良いことだったかも知れない。何事にも挑戦して、上を目指す。それ以外のことは、悪いことばかりの世界だったよ」DJ KRUSHは、笑いながら答えた。
頂点を目指すには、革新が必要だ。DJ KRUSHの作品は、とても実験的である。日本の文化は、しばしば、他の文化を“借用”することで有名だ。他の文化を輸入し、自国の文化として活用したり、自国の環境や文化に馴染むよう実行可能なものに作り変えたりする。決して、革新することに縛られている訳ではない。日本のヒップホップも例外ではなく、アメリカのモノマネに終始するという恥ずかしい時代もあった。当時の日本のラッパーは、社会経済的背景や、スラム街、人種差別について韻を踏むアメリカ特有のラップの精神をうまく反映していなかった。
「ヒップホップの文化は、アメリカで生まれたでしょ。日本は、ただそのマネをしていた。でも、何年か経つと、日本にもオリジナリティのあるラップが生まれてき

DJ KRUSHと話をしていると、とても謙虚な人間であることがわかる。彼は、20年後も、
「まだ自分のスタイルを追い求めていると思う」と語った。控え目な態度を持つことで知られる彼は、男らしさを伴うヒップホップの世界においては、対照的な性格と言えるかも知れない。
DJ KRUSHは、音楽をとても尊敬している。「音楽は、とてつもなく大きな存在だけど、きっと死ぬまでその本質を掴み取ることはできないんだろうね。自分から音楽を取り去ったら、僕は空っぽの人間になってしまう。ただのオヤジだよ」
若い頃、暴力団員だったDJ KRUSHは、音楽との出会いによって救われたに違いない。彼にとって、それは本当に音楽かすべてを失うことだったのだ。過去について尋ねてみると、彼はげらげらと高笑いした。
「おお!マジ!この話題について切り出されると思ったよ。ひどい暴漢だったけど、それは、若い頃の話ね。当時は、何がしたいのかわからず、いつも悪さばかりしてた。きっと、そういう形で生きていることを主張したかったんだろうね」
しかし、悪いことばかりだったのだろうか。ヤクザとしての生活は、今の人生に良い影響を及ぼしてはいないのだろうか。「あの世界での敬語やヒエラルキーは、とても偏っていて、年齢は全く関係ない。それに、あの世界では、勝ち残って上に這い上がろうという意識がものすごくある。だから、ヤクザの世界に溺れてはいたけれど、自分にしかできないことをしていこうと気付かせてくれたのは、良いことだったかも知れない。何事にも挑戦して、上を目指す。それ以外のことは、悪いことばかりの世界だったよ」DJ KRUSHは、笑いながら答えた。
頂点を目指すには、革新が必要だ。DJ KRUSHの作品は、とても実験的である。日本の文化は、しばしば、他の文化を“借用”することで有名だ。他の文化を輸入し、自国の文化として活用したり、自国の環境や文化に馴染むよう実行可能なものに作り変えたりする。決して、革新することに縛られている訳ではない。日本のヒップホップも例外ではなく、アメリカのモノマネに終始するという恥ずかしい時代もあった。当時の日本のラッパーは、社会経済的背景や、スラム街、人種差別について韻を踏むアメリカ特有のラップの精神をうまく反映していなかった。
「ヒップホップの文化は、アメリカで生まれたでしょ。日本は、ただそのマネをしていた。でも、何年か経つと、日本にもオリジナリティのあるラップが生まれてきた。DJだけでなく、日本のラッパーたちも、自分の国で起こっていることを日本語で歌うようになった。ギャングスタ・ラップ(※16)のマネではなくてね。まだまだ、アメリカのコピーをしているのが多いけど、DJが大きな産業となって、一大シーンとなると、多くの人がDJをするようになった。だから、ただ人のマネをするだけでは、受け入れられないよね。自分の個性をはっきり示そうとするDJも増えてきたね」
これは、日本のヒップホップ・シーンにも地元色が出てきたことを意味する。また、たとえギャングスタ・ラップのような武器についての歌詞をなくし、携帯電話や女の子について歌っていたとしても、強烈さと品位を伴って音楽的にも進化を遂げた。これは、ヒップホップ文化の音楽的側面のみならず、グラフィティのようなヒップホップ文化の他の側面についても言える。
DJ KRUSHの音楽を聴くと、本質的な日本の雰囲気を感じられる。「特に意識してやっている訳ではないから、自然に出てくるものなんだろうね。そういう捉え方をされるのかも知れない」意図的ではないにしろ、映画のような音世界が楽しめるアルバム『寂~jaku~』で見られる尺八や琴の伝統的楽器の使用や、日本人ラッパーの参加は、彼の音楽にはっきりとした東洋の空気を感じることができる。
年間の3分の1はツアーをしているDJ KRUSHにとって、初めての海外では、それほど日本人であることを意識しなかったという。しかし、徐々に、日本人としての意識が芽生えてきたという。
「最初は、日本人であることの意識が薄かったけれど、いろいろな国をツアーで周るうちに、『自分は、本当に日本人なんだ』と気付かされたよ」
DJ KRUSHと話せば話すほど、スクラッチの達人としてステージに立つ別世界の人間であるという意識は薄れていく。彼は、釣りをしたり、地元である練馬の田んぼ道を自転車で走ったりする(お酒をポケットに入れて)のが趣味だという。
都市にくらべて、おじいちゃんおばあちゃんがいて落ち着いている田舎が好きなのだそうだ。大都会よりも、田舎の良さを勧める。彼は笑いながらいう。「田舎は退屈かも知れない。でも、僕は音楽を作り出すのが仕事だから、静かな生活を望むんだ」
ツアー中でない時、DJ KRUSHは、一日6時間を作曲にあてるという。日々のささやかな出来事や触れるものからインスピレーションを得るという。「いつものように朝起きると、日々ニュースは変化している。釣りに行ったり、子供たちの話に耳を傾けたり、映画を見たり、写真を撮ったりする。他のアーティストの作品や、若い人達から届いたデモテープからインスピレーションを受けることもある。刺激を受けることは毎日の中にたくさんある」
DJ KRUSHが、23歳と16歳の娘の父親なのであると、改めて気付かされる。世界で一番クールな父親の娘は何をしているだろうか。
「上の娘は、音楽とは関係のないことをしている。下の娘は、高校生。二人が聴く音楽は全然違う。上の娘はロックが好きで、下の娘はテレビでよく目にするようなExileやRip Slymeが好きだよ」彼は、笑いながら話す。「家に帰ると、そんな曲がかかっているものだから、耐えられないよ。でも、娘たちは好きで聴いている訳だし、僕は、DJ KRUSHとして家に帰れないしね。もし、DJ KRUSHとして家に帰ったら、娘のCDは、ゴミ箱の中かもね。そんなことはできないから、家には父親として帰るよ」
DJ KRUSHの娘たちと日本の若者に対する願いは、“ただ存在する”だけでなく、一人一人が夢を持つことであるという。
「子供たちに『何か夢はありますか』と尋ねると、『別にない』と答えたりする。『何をしたいの』と尋ねてみても、『わからない』と答える。それは、何も子供だけではないね」
DJ KRUSHは、その充実したキャリアがあるにも関わらず、今の状況に満足したり、独りよがりな考えに固執したりしてはならないと考えている。「ここまで来られたことに、多くの方達に心の底から感謝したいと思う。世界中を飛びまわれるのは、とても幸せなことだと思ってる。音楽は深みのあるもので、とても幅が広く自由だ。だから、もっと追求することがたくさんあると感じてる」
卓越した技術力を持つDJ KRUSHの将来の夢は何であろうか。
「もう若くはないから、どこまで続けられるかということかな。杖を突きながら、点滴の管を腕から垂らしながら、海外ツアーに行くとかね。もし、お客さんの中に、お孫さんを連れて僕の音楽を聴きに来てくれる方がいたら、それが夢だね。小さな子供のために、入場料を無料にするよ。もしも、僕がそこまで音楽を続けることができたなら」

訳注:
(※1:ターンテーブリスト)ターンテーブルを駆使して独創性の高い演奏をするDJ。
(※2:ミックス)音の混成。音の調和。
(※3:テクスチュア)さまざまなメロディー、リズム、楽器などを組み合わせて作られる効果。
(※4:オールド・テクノ)90年代に生まれた
「ニュー・テクノ」に対し、70年代後半から80年代に生まれたテクノの総称。
(※5:アブストラクト・ヒップホップ)ヒップホップから影響を受けて発展した音楽で、幅広い意味での電子音楽の総称。
(※6:オールドスクール・ヒップホップ)1970~1980年代のニューヨーク市で行われていたブロックパーティから登場してきたヒップホップ黎明期を意味する言葉。
(※7:ブレークダンス)1980年頃からニューヨークで盛んになったディスコダンスの一つ。アクロバットのような身振りが特徴。
(※8:MC)曲と曲の間での演奏者のおしゃべり。
(※9:DMC)デジタル・ミキサー。複数の音声や映像を混合したり調整したりする装置。
(※10:スクラッチ)レコードを楽器として扱う、一種の演奏法。レコード盤を手で逆回転させてノイズを出したり、曲の途中で突然他の曲をかけたりすること。
(※11:ミキシング)音声・音楽・音響効果などの二つ以上の信号を混合・調整し、より効果的な一つの信号出力にすること。
(※12:ブレイクビーツ)サンプラーや波形編集ソフトウェアを使用してドラム演奏のフレーズを分解し、シーケンサーで組み立て直すという音楽制作の方法。およびその方法を伴った音楽のジャンル。
(※13:トリップ・ホップ)音楽のジャンルの一つ。ヒップホップから影響を受け発展した音楽であり、幅広い意味での電子音楽の総称として使われ、細かい定義はないとされている。テクノ、トリップ・ホップ、エレクトロニカといったように、時代とともにその名称は変化している。
(※14:サンプリング)過去の曲や音源の一部を引用し、再構築して新たな楽曲を製作する音楽製作法・表現技法のこと。
(※15:リミックス)複数の既存曲を編集して新たな楽曲を生み出す手法の一つ。
(※16:ギャングスタ・ラップ)ラップの中でも、特に過激で攻撃的な歌詞を用いるアーティスト。

Story by Manami Okazaki
J SELECT Magazine, December 2009 掲載
【訳: 青木真由子】