二つの顔をもつ街~歴史の街・尾道を旅する~

1960年代後半に港町・尾道に立ち寄ったドナルド・リーチ(※1)は、名著”The Inland Sea”(邦訳『日本人への旅』TBSブリタニカ)のなかで、尾道を詳細に描写している。海岸沿いに弧を描くように立ちならぶ古い木造家屋(今でもまだ残っているものがある)に注目したリーチは、次のように書き記している。「海から見ると、尾道はまるで中国の町のようだ。立ちならぶ家々が直接海につながっている」。実際に、こういう風景を目の前にすると、中国の揚子江沿いにある昔ながらの港町を思い出す。一見しただけではほとんど印象に残らないが、現地を歩いてみると深く印象に残るような、そんな場所だ。
反対に、尾道で一番高いところ(千光寺の山の頂)から海を眺めてみると、緑や紫にけむる山々の頂を見ることができる。それらは互いに重なり合って、遠くにかすんで消えていく。こうした心落ち着く風景──銀色に輝く海面に、緑やグレーの山並みが溶け込んでいく景色──は確かに眼前に存在しているのだが、その一方で、石油化学工場や、ごみごみした港湾施設、ほとんど使われていない巨大な橋の支柱などによって、景観が損なわれてもいる。
瀬戸内海には人の住む島が750以上ある。しかし、昔日の姿を残す美しい瀬戸内海の風景を楽しむためには、必ずしもどこかの島に上陸する必要はない。瀬戸内海における中心的商・港都市として栄えてきた尾道は、かつてそこに要塞を築いて活躍した、大胆不敵な海賊衆(水軍)の本拠地でもあった。以前から不思議に思っていたのは、日本人が海賊行為を、ヨーロッパの国々の新天地進出、とくに大航海時代のイギリスやスペインのそれと同一視していたことだ。この点についてさらに掘り下げてみたければ、この問題を扱った歴史書がたくさんある。日本の海賊は一時期、東南アジア海域で活発に活動していたのだ。危険を承知でメコン川をさかのぼり、カンボジアの港湾集落にまで達した海賊は、世界中の海のならず者たちと同じように、略奪・強奪を行った。尾道の場合、目と鼻の先にある向島(むかいしま)とのあいだに狭い水路が通っているので、地理的に敵からの防御に適している。戦利品も、内陸の水路を使ってひそかに町なかに運び上げ、蔵や小屋などに隠すことができる。また、複雑に入り組んだ路地が、無数の逃げ道にもなっていた。正確な地図を片手に現在の尾道を歩いてみても、町の全容を把握するには半日以上もかかる。
おもしろいことに、小津安二郎の映画『東京物語』(1953年)の冒頭は、映画のタイトルになっている東京ではなく、昔の姿をそのまま残しているように思われる尾道港のシーンで始まっている。尾道は第二次世界大戦の空襲を免れたので、古い町並みがよく残っているのだと、映画の登場人物は語っている。港が大きくなって、ビジネスホテルや飲食店がいくつかできたことを別にすれば、今でも状況はあまり変わっていない。おそらくそれが、2005年のアニメ『かみちゅ!』や小林俊彦の漫画『パステル』のように、尾道を舞台とした作品が今でも作られている理由だろう。今日まで風雨にさらされながら歴史を刻んできた尾道は、外からやってくる訪問者を、いまだに気取らずに受け入れてくれる。小津安二郎は、尾道という町に特有のこの親切さや品のよさを評価したのだろう。
しかし同時に、こうした特質は、日本の家族を描いた小津の映画において、疑問を投げかけられることが多い点でもあった。
尾道はそれほど大きな町ではない。「尾道市」という名前がついてはいるが、都会というわけでは決してない。狭くて細長い町であり、海と山に挟まれているために平地が少ない。そのため、利用できる場所が限られている。尾道というのは「尻尾(しっぽ)の道」を意味しているが、まさにそのとおりだ。鉄道の線路に寄り沿うように国道が走っている。町は大きく二つの地域に分けられる。古くからある寺町(てらまち)──統一感があって昔ながらの息づかいが感じられる地区──と、さまざまな要素が入り交じった新興の地区だ。両者のあいだをJRの線路が貫いている。古くからの地区に行くには、JR山陽本線の踏み切りからつづく石段と小道を登っていく。

1884年に初版が出版された”Murray’s Handbook for Japan”(マリーの日本案内)では、尾道は「すばらしいが朽ち果てそうな寺のある町」と描写されている。尾道の魅力の一つは、歴史的建造物がよい状態で保存されていることだ。しかもそれは、よくある見せ物のように過剰な保護の手が加えられていない。徒歩で散策を始めるには、千光寺がよい。千光寺公園の頂上まで歩いて登るのが大変そうだと思うなら、ロープウェイに乗る手もある。春には満開の桜とツツジが楽しめる。鮮やかな緋色の寺が山肌に不安定に鎮座し、奉納された絵馬や、お供え物、風化しつつあるお地蔵さまなどが並んでいる。山の頂上からの下り道は、「文学のこみち」へとつづいている。曲がりくねった散歩道には、自然石に刻まれた小説家たちの文学碑が点在している。
林芙美子(商店街のアーケード入り口に銅像がある)や志賀直哉などが、かつて尾道に居を構えていたのだ。さらに下っていくと、保存状態のよい三重の塔が、尾道の町を見下ろしている。ここから東には、福善寺をはじめとしてたくさんの寺がある(尾道には30ほどの寺がある)。福善寺へとつづく道は
「タイル小径」と呼ばれ、観光客が自分で買ってメッセージを書き込んだ、色とりどりのタイルが並べてある。千光寺の広々とした境内は、旅行者を敬虔な気持ちにさせる。寺の正面に掛けてある巨大なわらじの下で祈れば、願いがかなって実り多い旅になるという。
尾道の町のなかでも広い部分を占めている旧地区は、時代を経たものが相応に年月を重ねていれば、すべからく発する特有のにおいを発している。たとえばそれは、線香や下水や白かびのにおいであったり、蚊取り線香(古い緑色のもの)のにおいであったり、あるいは材木や猫の毛のにおいだったりする。それに加えて、猫の尿のにおいも漂っている。尾道は猫の町なのだ。猫を主人公にしたテレビ番組もある。尾道の人の猫への執着は、もしかすると、「猫は漁師に大漁をもたらす足の速い神様だ」という考えにもとづいているのかもしれない。尾道には尋常でない数の猫がいるように思えるのだが、きたならしく食べ散らかされた食べ残しや、散乱する魚の頭、ペットフード、悪臭を放つタラやマグロのペットフードの空き缶などは、猫好きにとっては目障りなものではなく、猫の世話をする日常の風景のひとこまに過ぎないのかもしれない。「招き猫美術館」などというものもある。おそらく尾道は、この種の美術館がある日本で唯一の町にちがいない。招き猫美術館では、レストランなどでよく見かける、前足で人を招く姿をした安っぽい猫の置物が展示されている。招き猫に興味がある人のために、ちょっとした雑貨や、猫のアクセサリーなども売られている。美術館の東にある浄土寺(じょうどうじ)は、旧地区のはずれに位置し、1806年に作庭された国指定名勝の見事な庭園がある。実にすばらしいのに訪れる人があまりいないこの庭園を見るためは、その前に、薄暗い寺の内部を拝観するガイド付きのツアーに参加しなければならない。
驚くほど大きな(あるいは「不釣り合いに大きい」と言った方が適切かもしれない)歓楽街が、新市街のなかでは古く、戦後に発展したあとは衰退の一途をたどっている地区に存在している。このあたり一帯の男たちがやってくるであろうこの歓楽街は、ちょうど海と線路に挟まれた場所にある。いかがわしいバーやキャバレーのたぐい、小さなソープランドなどが、海岸沿いにある魚料理専門の店や、波止場、船具を扱う雑貨屋などがある一帯からほど近いところに点在していて、港町らしさをかもし出している。数軒の花屋も店を出している。
恥ずかしさや後ろめたさを感じているお客がお店のママさんにちょっとした花束を贈るために、世界中どこに行っても、こうした場所には花屋があるものだ。この地区は、日中はいいが、夜になると町で一番の明るい場所になる。ネオンがちかちかと光る歓楽街の外側は、暗闇に半分足を突っ込んだ世界であり、まるで電力の供給が止まって荒廃が始まった土地のように見える。
しかし、夜は、見たくないもの──薄汚れた工業団地、見栄えの悪い造船所、コンクリートのかたまりなど──をすべて隠してくれる。夕暮れ時には水路が活気づく。ディーゼルの排気音がやかましくなるのではなく、フェリーや小型の漁船の明かりや、海の向こうへの旅を暗示している島々にかかる橋の明かりが、水面に反射して輝きを増すのだ。

旅行情報

JR山陽新幹線の新尾道駅から市街中心部までは、バスで15分。JR山陽本線の尾道駅は中心部に位置している。生口島(いくちじま)や広島空港からはバスの便もある

また、生口島の瀬戸田港や、そのほかの島と尾道港を結ぶフェリーの便がある。尾道は瀬戸内海の島々への拠点としても便利だ。島を結ぶ橋を徒歩や自転車で渡ることもできる。また、フェリーでも島巡りができる。広々として優雅な「魚信(うおのぶ)」(電話=0848-37-4175)は、値段は高めだが格式張らずに宿泊できて、おいしい料理も楽しめる。低価格の宿がよい場合は、ビジネスホテルが便利だ。尾道駅近くにある「尾道第一ホテル」(電話=0848-23-4567)や、「ホテル・アルファ・ワン尾道」(電話=0848-25-5600)は、どちらもシングル・ルームが4,500円から6,000円で宿泊できる。
漁港でもある尾道では、新鮮な魚介類が楽しめる。食事どころを探すなら、海岸沿いのレストランが一番のおすすめ。その日に水揚げされた新鮮な魚が、水槽やプラスチックケースのなかで出番を待っている。テーブルが三つだけの小さな食堂「しみず食堂」は、鯛料理が絶品で、しかも安い。
海岸通りには、そのほかにもレストランやカフェが数軒ある。観光案内所は尾道駅の右手すぐのところにある。便利な英語の観光マップも入手可能。ドナルド・リーチの古典的名著”The Inland Sea”は、尾道旅行に持っていく本として最適だ。

祭り・イベント情報

紫燈護摩(さいとうごま、1月8日)──西國寺で行われる火渡り神事。無病息災、商売繁盛、家内安全などの願いを込めながら、まだ火がくすぶる灰の上を修験者や参拝者が渡っていく。
尾道みなと祭(4月第4土・日曜)──1740年に始まった尾道港の港湾整備開始を記念して、JR尾道駅周辺、ショッピング・アーケードなど、市内一帯で開催される祭り。パレードやさまざまなイベントが行われる。
水祭り(7月下旬)──熊野権現社の祭礼。からくり水人形の舞台を設置し、人形の指先から噴水が出る。

訳注:
(※1:ドナルド・リーチ)1924年、米国オハイオ州生まれの評論家・映像作家。日本映画に傾倒し、半世紀以上にわたって日本を拠点に作家・評論家として活動をつづけている。

Story and Photo by Stephen Mansfield
J SELECT Magazine, December 2009 掲載
【訳: 関根光宏】