フィリップ・トルシエ~元サッカー日本代表監督が、サッカーに対する思いを語る~

トルシエ監督の名前を耳にしただけで、多くの日本人は崇高な思いに陥ることであろう。それは、日本代表監督を務めたトルシエ監督に対する尊敬の念の現れでもある。1998年から2000年の間、トルシエ監督の熱心な指導のもと、サッカー日本代表は、数々の功績を残した。2000年のアジアカップ2000では、決勝トーナメントに進出し優勝、2001年のコンフェデレーションズカップでは、準優勝を果たした。また、2002年のワールドカップでは、ベスト16進出を果たした。数々の功績をおさめた日本代表であったが、フランス人であるトルシエ監督は、どのような指導を行ってきたのであろうか。トルシエ監督は、技術面での指導はむしろ少なく、すべては、精神面での強化とサッカーに対する哲学であったと語る。

トルシエ監督が歩み寄ってくる姿には威厳が感じられ、強烈な印象を持って私を圧倒させた。しかし、実際にお話しをしてみると、テレビで見る姿とは違い、とても愛想が良く親しみが感じられ、多弁であった。席に着くなり、コミュニケーションや心理学、文化について語り、私を驚かせた。しかし、当時のサッカー日本代表を歴史的な成果に結び付けたトルシエ監督には、何が彼を成功に導かせたのであろうか。

パリに生まれ育ったトルシエは、サッカーとの初めての出会いを鮮明に覚えているという。「8歳の時、車庫でサッカーの靴を見つけました。すぐにそれを手に取り、履いてみました。靴のサイズは大きかったのですが、まるで、長靴を履いた猫のような気持ちでした。より速く走れて、より高く飛べるような不思議な力を得たような気持ちでした」その数年後、1970年のワールドカップで、「サッカーの神様」と称されるペレの活躍を見たトルシエは、サッカー選手になることを決意した。1976年に、プロのサッカー選手としてのキャリアをスタートさせ、1983年までフランスのいくつかのチームでプレイをした。その後、トルシエは、監督業に転向した。フランスでの監督としてのデビュー後、1989年にトルシエは、アフリカのコートジボワールに渡り、ASECミモザ・アビジャンの監督に就任。アフリカでの監督としてのキャリアの幕開けとなった。その後、小規模ながらも名門のサッカーチームで好成績を挙げ、ナイジェリア、ブルキナファソ、南アフリカの代表監督を務めた。この頃、あまり知られていないサッカーチームを世界クラスのチームに変えたことで、「白い呪術師」の異名を取った。

その後、どのような経緯でアフリカからアジアに渡ることとなったのであろうか。時は、1998年である。フランスは、ワールドカップの決勝戦でブラジルを下し、国中が歓喜の渦に沸いていた。ゆるぎない強さを持ったフランス代表チームに多くの目が向けられる中、日本は、フランス人の監督を代表チームに迎え入れようと考えた。そして、アフリカでのトルシエの代表チーム監督の経験が認められ、白羽の矢が立った。こうして、日本での彼の冒険が始まったのである。

2002年に日本代表チーム監督の契約期間が終わり、一端は日本を離れるが、2008年にFC琉球の監督として日本に戻ってくることとなった。今は、沖縄と東京を行き来する生活が続いている。日本での監督経験から、トルシエは日本の選手をどのように捉えているだろうか。トルシエ曰く、日本の選手たちは技術的にも練習量でも他国の選手に引けを取らない。学校の設備も充実したものであるという。しかし、海外でプレイする経験がまだまだ足りないのだという。「海外でプレイするということは、日本とは違った方法でトレーニングを積むことにもなります。日本では出会うことのない監督との出会いがあり、日本では経験できない競合相手と戦うことになります。多くの壁にぶつかることでしょう。しかし、残念なことに、日本選手の多くは、海外での経験がほとんどありません。だから、このような壁にぶつかり、成長する機会がないのです」日本選手のこのような弱点は、海外で活躍した日本選手で監督に転向した者が一人もいないという事実が拍車をかけている。「日本で監督をする人たちの中に、海外で選手としての経験がある者は一人もいません。彼らは、名門の学校を卒業しています。もちろん、彼らは本から得た知識は十分に持っています。その知識を選手たちに伝えることもできます。しかし、ハイレベルなサッカーというものは、もっと哲学的なものなのです。目で見えるものではなく、肌で感じるしかないのです」

トルシエは、日本選手の組織力と献身的な取り組みに評価を示す一方で、このことが欠点にもなりうると指摘する。選手たちは献身的なあまり、限界を超えるところまで練習を積まなければならないと思い込んでいると、トルシエは語る。限界を超えるところまで練習で体力を使い果たしてしまうので、的確な判断を下したり、冷静な分析をしたりすることができなくなり、悪循環に陥ってしまっているという。「これは、日本の選手の弱点の一つだと思います。自分のしていることを冷静に見られなくなっているのです。組織や規律にとらわれているので、お互いを尊重し、完全に指示を遂行することはできます。しかし、ハイレベルな練習をする段階では、選手からの反応を良く見極めなければなりません」日本選手の能力は、しばしば海外メディアの批判にさらされている。そして、このインタビューの直前に、トルシエは、現日本代表の岡田武史監督を、指導力と決断力のなさから酷評している。自分自身の代表監督としての経験から彼は語る。「私なら、チームの中で、選手一人一人の役割をはっきりと与えます。それは、まるで、オーケストラの中でミュージシャンに指示を出す指揮者のようなものです。ミュージシャンの一人一人は、とても才能があり、高い能力を持っています。彼らは、自分の持ち得る能力のすべてを指揮者の指導のもとに、出し切れば良いのです」

トルシエはフランス語が母国語であり、日本語力は決して高くない。選手たちとコミュニケーションを取る時には、通訳を介する。このことは、コミュニケーションの障害とならないのであろうか。しかし、彼はあえてフランス語で話すことを試みているという。「監督として、選手たちには強力なイメージを示せなければなりません。下手な日本語でコミュニケーションを取って、選手たちを混乱させれば、監督としての威厳も失われてしまいます」彼は、あえて日本語でコミュニケーションを取ることはないが、日本の国や人々に対する敬愛の念は深い。「言葉ではなく、日本の人々がどのような暮らしをしているのかを知りたいと思います。日本が大好きです。生活の質の高さ、サービス、人々の優しさ、安全なところ、すべてが好きです。とても美しい国だと思います」日本の国と人々に対する深い尊敬の念と共に、彼は、日本での年月が監督としてとても実りの多い日々であったと語ってくれた。

彼は、フィールドの上では決して妥協を許さない。しかし、それこそが、彼が代表チームを始めとする監督に選ばれた理由であろう。しかし、トルシエは、試合の外では違った取り組み方をする。「試合が終わった後にシャワーを浴びる時、自分は日本では外国人なのだと感じます。日本流の生活のあり方を受け入れなければと思います。そして、日本流の生活のあり方に、敬意を表します」

By Melissa Feineman
From J SELECT Magazine, September 2010
[訳: 青木真由子]