日本庭園:日本を回遊する

「日本という、うるわしく、巨大な庭」
ジェイムズ・カーカップ『にっぽんの印象』

旅行に出かけるとき、なにかしらテーマを決めておくと、より深く楽しむことができる。日本を旅行する場合、さまざまな選択肢がある。たとえば、林芙美子、井原西鶴、漂泊の禅僧・良寛など、作家や歌人ゆかりの地を訪ね歩く旅が考えられる。現代建築をテーマとすれば、別府にあるグローバルタワー、滋賀県にあるMIHO MUSEUM(ミホ・ミュージアム)、象設計集団が設計した沖縄の名護市庁舎などが旅の目的地となるだろう。

旅行のテーマということでいうと、回遊式の日本庭園というのは、もっとも充実したテーマのひとつだといえる。広々として緑の多い回遊式庭園は、のちに都市となる地域に造園された場合が多いため、交通の便がいい。回遊式庭園は江戸時代(1603年~1867年)に発達したが、庭園の形式という点では、かなり時代をさかのぼった平安時代の庭園に近い形式で造られている。

広大な敷地に造られた回遊式庭園は、もともと貴族や大名(広い領地をもつ武士)の優雅な生活――庭園の意匠に興味をもち、文学や神話に縁のある場所を訪ねるのが趣味だという生活――が土台となっていた。回遊式庭園というのは、庭園を訪れた人が園内を散歩(回遊)しながら、小旅行を楽しむような気分で観賞できる庭園であることから名付けられた。

巧妙に設計された園内を回ると、さまざまな景色が眼前に現れては消え、そうかと思うと別の角度から視界に入ってきて来園者を楽しませる。庭園が来園者をもてなすために使われる場合、同時にそれは、庭園所有者の富と美意識を来園者に印象付けることにもなった。

東京は、広々とした庭園を巡る旅を始めるにはもってこいの場所だ。浜離宮、旧芝離宮恩賜庭園、小石川後楽園など、江戸時代に造られた庭園が今でも存在している(ただしその規模は縮小されている)。東洋的な文学や神話の世界は、駒込にある六義園(りくぎえん)に行くと、強く感じられる。六義園とは、「六義(むくさ=和歌の六つの基調)の庭園」を意味している。江戸時代の大名や役人、裕福な商人たちは、思い思いの工夫を凝らした広大な庭園を造って楽しんだ。こうした庭園は、中国や日本の歴史や文学に登場する風物を、ときにリアルに、ときに想像を交えながら、たくみに再現していた。

回遊式庭園である六義園は、柳沢吉保によって1695年に造園が開始された。五代将軍・徳川綱吉の側用人であった柳沢吉保は、眼識のある知識人として知られ、大の庭好きだった。六義園の完成には7年の年月を要した。回遊式庭園の様式にのっとって、来園者が園内を回遊しながら鑑賞できるように設計されている。小山、茶室、池、松の木が配された中の島などが、来園者の目を楽しませる。分類上は、回遊式築山泉水庭園(築山を配し、池のある回遊式庭園)に分類される六義園は、江戸時代の造園技法として一般的だった縮景(しゅっけい)の手法を用いている。

東京から西に向かって京都に行くと、リストアップされているだけでも200あまりの庭園がある。その多くは平安神宮庭園(神苑)や無鄰菴(むりんあん)、修学院離宮のように、回遊式庭園の要素を取り入れている。しかし、京都の庭園には、基本的には離宮様式の作庭手法が使われている。古都・京都では、さまざまな日本庭園の様式が用いられているので、庭園を分類するのが難しい。それについては、いずれ本誌で詳しく取り上げることにしたい。

日本列島をさらに西へと行くと、岡山市には、回遊式庭園の愛好者が必ず立ち寄る後楽園がある。周到に設計された園内には人工的に作られた雑木林があり、峡谷や山々、滝などが縮小されて表現されている。これらは木曾路を模していると伝えられている。後楽園のすぐうしろにある岡山城は、日本庭園で頻繁に使われる手法である「借景」の一部をなしている。庭園を設計する際、空間の広がりや遠近感を表現するために、敷地の外側にある山々や、重なり合う木々、寺院の屋根の輪郭などを、庭園デザインの一部として取り込むのである。

四国の高松までは、岡山から日帰りで行くことができる。高松市には1745年に造園された栗林(りつりん)公園という見事な庭園がある。栗林公園にある松の木の多くは、「屏風松」と呼ばれる形に整えられている。この呼び名は、松を屏風のような形に刈り込むことからつけられている。水平に絡み合うようにして伸びた枝が、生け垣のような形をつくっている。そのため、西洋庭園のトピアリー(植木などを装飾的に刈り込む技法)を連想させる。

九州の熊本にある由緒ある回遊式庭園・水前寺公園では、上品さと遊び心が完璧に組み合わされている。水前寺公園は1632年に細川家によって造られ、細川家の別邸の庭として使われていた。中心に湧水池がある水前寺公園は、典型的な回遊式庭園であり、東海道五十三次の景勝を模した風景――琵琶湖をかたどった池や、富士山をかたどった築山(芝生で覆われている)――が広がっている。明治時代の終わりに水前寺公園を訪れた写真家のハーバート・G・ポンティング(Herbert G. Ponting)は、1911年に出版した著書『In Lotus-Land Japan』(邦訳は『英国人写真家の見た明治日本』、講談社学術文庫)のなかで、8月に松の木の下で食べたフルーツシロップのかき氷が、いかにおいしかったかを書き残している。ポンティングはまた、水前寺公園の池で大人たちが水浴し、子供たちが「池で舟をこぎ、草の上で走り回っていた」とも記している。どうやら日本の回遊式庭園は、高度に美的な要素をもっているにもかかわらず、来園者が思い思いに楽しく過ごすことも許されているようだ。

九州南部の鹿児島市にある磯庭園は、南国特有の気候によって、梅林や竹林に混じって亜熱帯植物が見られることで知られている。また、有名な石灯籠があることでも知られている。ただでさえすばらしい回遊式庭園に石灯籠が加わることで、独特の景観が広がっている。鹿児島湾と桜島に臨むこの庭園は、島津氏の別邸の一部として造園された。別邸は、島津家19代当主の島津光久によって1658年に建造された。

磯庭園の大きな特徴は、石灯籠だ。有名な獅子の灯籠が、庭園の内門を入った右手にある。この巨大な石灯籠は、1884年に29代島津忠義が小田喜三次に命じて造らせた灯籠で、笠石に天然の石を使っている。また、案内パンフレットによると、独特の形をした鶴燈籠は、驚くべきことに日本で最初にガス灯を点した燈籠だという。

来園者は多いものの、日本の回遊式庭園は、現在でも、本や詩集を手に静かに時を過ごしたり、石灯籠や松の木、池などを鑑賞したりするには理想的な場所だ。香り高い抹茶を飲みながら、庭園でのひとときを楽しんでみよう。

旅行情報

文化の中心地であった場所が、そのまま都市として発展する場合が多い。そのため、この記事で紹介した庭園はすべて、鉄道の駅から歩いて行ける距離にあるか、バスですぐの場所に立地している。茶室に立ち寄ってみると、抹茶と茶菓子が味わえると同時に、ほとんどの場合、園内でも随一の景色を眺めることができる。回遊式庭園の入園料は400円から600円ほど。ほとんどの庭園が英語の案内パンフレットを用意している。東京の六義園のように、フランス語や中国語のパンフレットが置かれているところもある。Alison Main & Newell Plattenが書いた『The Lure of the Japanese Garden(日本庭園の魅力)』(Wakefield Press)には、コメントと写真付きで日本全国の庭園のリストが掲載されている。

By Stephen Mansfield
From J SELECT Magazine, October 2010
【訳: 関根光宏】