信仰と学問の聖域

アジアの国々では、寺院や神社など、信仰とつながりのある場所には必ず市場がある。日本もその例外ではない。言うなれば、聖なる場所全体が商取引の場所のようになっているのだ。つまり、関わりのあるすべての人が利益を得て、満足できるようなシステムになっているのである。
九州北部の太宰府市にある観光名所・太宰府天満宮に行くには、土産物屋が軒を並べ、風鈴や健康飲料、蜂の子といった商品を大声で売りさばく露天商がいる参道(御影石製の鳥居が三つある)を避けて、裏通りを通り抜けて行くこともできる。だがそれでは、市場の雰囲気を楽しむ機会を逃してしまうことになる。
大宰府は、大和朝廷の重要な軍事的拠点であり、行政機関であった。また、奈良時代には、九州における地方行政の中心地だった。朝鮮半島南部の任那(みまな)にあったとされる倭国の統治機関(任那日本府)を、新羅や中国の唐から防衛するために送られた軍隊は、ここ大宰府から送り出された。大宰府は、この時期から平安時代にかけて、中国をはじめとしてアジアの国々と貿易や外交を行うための、朝廷の重要な出先機関として設置されていた。
ところが、大宰府の長に任命された者がもっていた権力と威光は、平安時代後期にはすっかり薄れてしまった。というのも、大宰府は次第に、宗教的・政治的に失脚した貴族の左遷先と化していったからだ。漢詩人・政治家・書家であった菅原道真は、失意のうちに没するまでの二年間を、大宰府の長として過ごした。道真の葬儀が終わると、災害や不吉な出来事が相次いで起こった(たとえば、道真の遺骸を運んでいた牛が突然動かなくなり、そのまま死んだ。また、御所に雷が落ちて役人が死んだ)。これらを「道真の祟り」だとして恐れた朝廷は、それを鎮めるために社殿を建立し、道真を神格化して信仰の対象とした。その結果、種々の災難はすぐさま治まったのである。
1590年に再建された現在の太宰府天満宮本殿には、高校や大学の受験をひかえた生徒たちが合格を祈願するために訪れ、絵馬に願い事を書いて奉納する。境内には多数の梅や楠(くすのき)が植えられている。とくに梅は、花菖蒲などとともに道真とのゆかりが深い。天満宮の宝物殿と本殿は、誰でも参観・参拝できる。本殿の裏手にある菅公歴史館では、土でつくった博多人形を使って道真の短い一生をつづった、興味深い展示を見ることができる。
受験でよい結果を出すためには、神様に祈り、お守りを購入して信仰心を表明すればよい──受験生にそう信じ込ませることに成功したという点で、聖職者たちは実に思慮深かったといえるだろう。天満宮には、一般の日本人観光客や外国人に加えて、一年を通じて、学問の神様である道真公に敬意を表するために訪れる受験生が跡を絶たない。とくに冬の受験シーズンには、天神様のご利益を得ようと受験生が大挙して訪れる。
本殿にお参りするためには、まず、鯉や亀が泳ぐ池にかかる太鼓橋(まん中が高く半円形をした橋)を渡らなければならない。次に、明るい小豆色に塗られた楼門を抜けると、天満宮の本殿にたどり着く。本殿は檜皮葺(ひわだぶき)で、朱と金で飾られた見事な建物だ。この神社は、菅原道真にささげられただけでなく、道真自身が天神(学問の神様)としてまつられていとしてまつられている。本殿周辺には、願い事を書いて奉納された木製の絵馬が、ところ狭しとかけられている。春のお花見の時季には、新しく受験生となる生徒たちが、花見客にまじって参拝に訪れる。東京の湯島天満宮(湯島天神)でも、同じような光景を目にすることができる。
太宰府天満宮では、国を代表する歴史的建造物と、そこに納められている宝物にまじって、実に俗っぽい風景も広がっている。天満宮の境内を囲む木々の間から、大きな観覧車とジェットコースターのある趣味の悪い遊園地が見え隠れしているのだ。この遊園地は、なんらかのかたちで天満宮から認可を受けていることは間違いない。
太宰府の魅力は、天満宮に参拝したり、それに関連する土産物などを購入したりすることだけにはとどまらない。天満宮の表参道を左に進んでそのまま本殿に向かうのではなく、右に折れて狭い路地を入っていくと、光明禅寺の庭園にたどり着く。靴を脱いで薄暗い木の廊下を進んでいくと、ぽつぽつと訪れる参拝者がそのまま素通りしてしまうような暗い部屋の中に、仏教美術その他の名品といえるようなものがひっそりと置かれているのが目に入る。目を疑うような光景に驚いて、あらためてよく見てみると、小さな楠の彫刻や、朝鮮半島の陶磁器、茶道に使う茶碗などが置かれている。これらの品は、何世紀にもわたって、この薄暗い部屋の中に人知れず置かれていたのだ。この寺には静かで落ち着いた空気が流れている。商業主義とは無縁で、人けもなくひっそりとしている。そのまま廊下を歩いていくと、石や砂利や苔などが配された庭園の風景を見渡すことができる。木々に覆われて日陰となっている庭には、木漏れ日が差し込んでいる。遠くの部屋から女性の笑い声が聞こえてきた。庭には、作業着を着て帽子をかぶり、まるで茶摘みをするときのような格好で熊手を手にしている庭師の姿もあった。ここは、時が移り変わっても、静かで穏やかな雰囲気がけっして崩れることのない空間なのだ。
光明禅寺から歩いて15分ほどのところには、とても珍しい戒壇院(僧侶に戒を授ける儀式を行うための建物)と、古い梵鐘があることで有名な観世音寺がある。宝物館には、馬頭観音など、きわめて貴重な仏像が多数収められている。ここからすこし歩くと、小さな展示館があり、それに隣接して大宰府政庁(都府楼)跡がある。ここは、南九州に居住して大和朝廷に反抗していた熊襲(くまそ)の襲来にそなえた監視所の役目も果たしていた。かつて大宰府政庁があった場所には、
一定間隔に並んだ礎石が残っている。
信仰、歴史的遺物、学問など、重々しい雰囲気がある太宰府市だが、3キロメートル南にある二日市温泉に足を伸ばすと、重々しさから一気に解放される。二日市温泉は九州最大の都市・福岡からもっとも近い温泉街だが、週末でも混み合うことはない。西鉄二日市駅から歩くこと10分、3軒の日帰り温泉施設が一カ所に集まっている。3軒それぞれに特徴がある。一番大きな「バーデンハウス」は、温泉にしてはおかしなネーミングだが、露天風呂やサウナなども含めて風呂の種類が多い。「博多湯」は年配の地元客に人気の温泉。北九州の方言を知るにはうってつけの場所だ。「御前湯」はきれいで実用的な、由緒ある木造の温泉施設。とても大きな風呂が三つある。旅の疲れをとるには最適の温泉だ。

Story and photos by Stephen Mansfild
J SELECT Magazine, April 2010 掲載