HIMEKAキラキラ輝く世界の歌姫

まるで現代のおとぎ話のようだ。歌手としては決して恵まれた環境にあったとは言えない美しい少女が、自分の力で遠く離れた異国へ旅立ち、天使のような歌声が名声と富を与えたのだから。ケベック出身のHIMEKAは、まだ有名とまではいかないが、次世代の日本のポップシーンにおいて、絶大な人気を得るに違いない。
HIMEKAが一躍スターダムにのし上がるきっかけとなったのは、「第2回全日本アニソングランプリ」に出場し、優勝の栄冠を手にしたことだ。3,000人以上の応募者の中、魅力的な歌声と溢れるばかりの歌唱力、美しく見事な日本語詞の表現力が審査員に圧倒的に評価され、優勝を勝ち取った。
アニソンとは、アニメソングを省略した言葉で、テレビのアニメ放送のオープニングやエンディングで流れる音楽のことをいう。アニメソングには様々な種類のものがあるが、ポップ音楽とアニソンの境界はしばしばあいまいなものとされる。HIMEKAによれば、大きな違いは、視聴者あるいはリスナーとアニソンとの深いつながりにあるという。アニメシリーズやアニメに登場するキャラクターに対する深い愛情が、その結びつきをより深めるのだという。「いつもアニソンを聞くことで、アニメの虜になってしまうの」
ケベック出身の普通な女の子だと語るHIMEKAであるが、日本で優勝の栄冠を勝ち取った歌姫になるまでの道のりは、どんなものだったのだろうか。それは、何年にも渡り、大陸をまたいだ物語であり、内気でありながらも決意に満ちた少女の物語である。
ソニー・ミュージックの本社の一室にマネージャーと共に現れたHIMEKAは、まだ自分自身に起こっていることが信じられないと言わんばかりの表情であった。そこには、一人の愛らしい少女がいた。アーティストとしてのHIMEKAから、本当の姿を見つけ出すのは、一つの冒険のようであった。過去についてはあまり多くを語らず、身近に起きた出来事などを語ってくれた。
HIMEKAという名前はもちろん本名ではなく、彼女自身が作り出した名前である。HIMEKAは、ティーンエージャーの頃に書いた物語に登場する人物の名前である。その物語の中で、女神のようなHIMEKAは、人々に力とインスピレーションを与える。この強力な女神を物語に描いたことは、HIMEKAの少女時代、刺激となりモチベーションを上げる一つのきっかけとなった。内面的な強さ、そして、決意の大きさを知ることこそ、彼女の本当の姿を知る一つのきっかけとなるのかも知れない。ここに来るまでの生活は決して楽なものではなかったと、彼女は言う。日本に来るために、退屈な工場での仕事も一生懸命こなし、大学に進学することも諦めた。一切つらかったとか後悔しているなどと言わない。過去を見つめるのではなく、未来を見つめる方が好きなのである。
自分自身について語る時、HIMEKAは少し不安そうな表情を見せたが、好きなアニメやキャラクターについて語り始めると、シャイで控え目な態度は一変した。6歳か7歳の頃、ディズニー映画に信仰するほどに夢中になったそうだ。『眠り姫』のオーロラ姫のやさしさと美しさにとても感動し、元気をもらったそうだ。森の中に住むお姫様について語る時、HIMEKAの透き通った青い目が輝いた。オーロラ姫は、お手本にしたい存在だったという。「オーロラ姫とまったく同じようになりたかったのです」
高校に入学すると、彼女の興味はディズニーから、遠く離れた日本が生み出した幻想的な物語へ移っていった。フランス語の字幕で見ていたが、日本のアニメ『美少女戦士セーラームーン』の虜となった。『美少女戦士セーラームーン』は、中学生である月野うさぎがある日、しゃべる猫であるルナと出会うことから始まる。ルナはうさぎに、「変身して妖魔と戦え」と言う。うさぎは月のプリンセス、セーラームーンの生まれ変わりだったのだ。この物語のどんな所に惹かれたのだろうか。「いつでも、少女たちが一生懸命に戦っているところに強く惹かれました。特に、主人公の女の子は不器用で、うまくいかない時もあるのですが、みんなのことが大好きで、いつでもベストを尽くそうと一生懸命なのです。とても感動しました。何もできない女の子が、困難に立ち向かって一つ一つ乗り越えていく。とても勇気づけられました」
HIMEKAは、セーラームーンの登場人物に、自分の姿を映し出していたのだろうか。まさにその通りである。当時、セーラームーンの登場人物とHIMEKAは。同じ年齢であったので、セーラームーンの登場人物に自分の身を置き換え、自分の未熟さに打ち勝ち、自信をつけていったのである。
「セーラームーンから勇気をもらったのです。周囲を見渡しても、私は弱い人間だと思っていました。強くなりたいと思っていました。せっかく生まれ持った自分の人生、何とかしたいと思っていました」
アニメ『美少女戦士セーラームーン』との出会いは、ほんの始まりだった。アニメが漫画に基づいているのを知ると、彼女はすぐに学校の帰りに漫画本屋に立ち寄り、原作を手にした。無限の可能性を秘めた内気な少女は、同じような物語に慰めを求めた。多くの共感できる登場人物に出会い、次第にアニメに夢中になっていった。
HIMEKAは、アニメの大会に参加するために定期的にアメリカに行くようになり、次第に歌のコンテストに参加するようになった。これは、彼女にとって貴重な経験となったが、「アメリカで日本語の歌を歌っても、アーティストとして進展する機会がないと思いました。本当にアニソンの歌手を目指すのであれば、日本に行かなければと思いました」最初の頃、日本に行きたいという強い夢を自分の心の中だけに閉まっていたという。周りの人間に頭が変だと思われるかも知れないと思ったからだ。周りの人間にどのように思われるかを考えた時に、心は揺らいだが、決して歌手になる夢を諦めなかった。「以前は、周りの人間の意見に耳を傾けていました。でも、気が付いたのです。私が成功しようがしまいが、誰も自分が言ったことに責任を持ってくれる訳ではない。すべては私自身の問題なのです。日本に行こうと決めたことも同じことです。私自身が行きたいと決めました。もし、私の頭が変だと思う周りの人間の意見に耳を傾けていたならば、私はチャンスを失い、誰もそのことに対して謝ってはくれません。何かを決意する時は、その準備に集中することこそが、大切なのだと思います」彼女は自分の夢を内に秘め、親友にしか語らなかったが、必ず夢は叶うのだと彼女の明るい性格ゆえに楽天的にも見ていた。「これは私が選んだ道。そこには必ず意味があると信じていました。だから、努力すればするほど、道は必ず開けると思っていました」
HIMEKAの成功への道は、一夜で成し遂げられたものではない。何年にも渡る準備期間があった。彼女はお金を貯めるために低賃金のアルバイトをいくつもこなし、数えきれないほどの時間を歌の練習と勉強に費やした。彼女が苦心して日本語を勉強したこと、こつこつと日本語の歌の歌詞を読み解いたり、漢字を学ぶために辛抱強く日本語の辞書をめくったりしたことを聞かせられた時、本当に心を打たれた。彼女の母国語はフランス語であるが、英語を学んだ時と同じように、日本語の勉強にも取り組んだという。日本語の単語を時々忘れてしまうこともあるようだが、完璧に自分自身のことを日本語で表現した。母国語であるフランス語を話す時のように、彼女の話す日本語は、とても発音が美しかった。
HIMEKAは歌手として成功したいという夢と共に、2008年に来日した。来日してすぐ、たくさんのオーディションを受けた。「第2回全日本アニソングランプリ」の地方大会で優勝したことがわかると、彼女は、カラオケボックスにCDを持ちこみ、毎日何時間もかけて歌の練習をした。
歌やアニメーションへの情熱は並み並みならぬものがあったが、時には挫けそうになることもあったという。自信を失いそうになり、心を痛めたこともあったという。「私はとてもビクビクしていました。人から話しかけられる日本語はほとんど理解できていましたが、私は言葉少なにしか答えられませんでした。『彼女はここで何をしているの。日本人でもないのに』人からそう思われることに恐れを感じていました。」もし、周りの人がそう思っていたとしても、オーディションの審査員はそのように感じてはもちろんいなかった。彼女は「第2回全日本アニソングランプリ」で優勝し、華奢な彼女ほどもある大きなトロフィーを手にしたのだから。
「第2回全日本アニソングランプリ」での優勝により、プロのアニソン歌手としてのデビューが決定した。HIMEKAのファーストシングル
「明日へのキズナ」は、アニメ「戦場のヴァルキュリア」のオープニングソングとして2009年5月から放送された。「明日へのキズナ」のプロモーションビデオを見て、天使のように美しい姿が、幼い頃に夢見たおとぎ話に出てくるお姫様と重なった。彼女の素晴らしい思いつきにヒントを得て、プロモーションビデオを制作した監督は、「宇宙の秘密をすべて知る、魔法の森に住む女神」をイメージして制作したそうだ。
幼い頃の夢を語った時と同じように、プロモーションビデオが完成した喜びを興奮した面持ちで語るHIMEKAは、幼い頃の夢を実現し、一秒一秒を大切にしながら日々を過ごしている。彼女の溢れんばかりの心からの喜びは、私までを明るい気持ちにさせた。彼女の物語は、「決意をもって夢に描いたものは、必ずや達成できる」という不屈の精神の結実だ。それこそが、彼女の魅力であり、自身のウエブサイトを「Magic Sparkles」と名付けたことに、彼女の原点を見ることができる。「もっともっと努力をして、強くなりたい」との思いから名付けた。HIMEKAのオフィシャル・ウエブサイトwww.himeka.infoを訪れてほしい。「Magical Sparkles」のタイトルの横に、おとぎの国のお姫様のようなHIMEKAを見ることができる。
歌手としてのキャリアはまだ始まったばかりだが、彼女は絶大の人気を誇る。「第2回全日本アニソングランプリ」の優勝後、ソニー・ミュージックと契約を交わした。セカンド・シングル「果てなき道」は、2009年11月25日にリリースされた。まだオリジナル・アルバムを出していないが、精力的に全国でプロモーション活動を行い、様々なプロジェクトに取り組んでいる。その一つとして、アニソンのカバーアルバム「♥アニソン 〜歌ってみた〜」を3月3日にリリースする。
とても落ち着きがあり、人気絶頂となった今も、地に足がついている。ファンをとても愛し、急激に人気者となったことにとまどいを覚えている。本当は、ファンやオンライン・コミュニティのサポーターたちともっと近づきたいと考えている。彼女とマネージャーは、お互いをからかいながらも、強い絆で結びついていることを知っている。驚くことではないが、彼女は自分のことを感情豊かな人間であると語ってくれた。アーティストとして活動をする際、時にビジネスの面で難しさを感じることもあるという。
HIMEKAの未来には、何が待ち受けているだろう。オリジナルのフルアルバムを出したいと思っている。将来、ソロのコンサートを開くことに、わくわくすると同時に不安も覚えている。今は、まだ日本語で歌詞を書こうとは思っていないそうだが、自分で曲を作ってみたいとは思っているそうだ。
「時々、何も生み出していないと感じることがあります。私は何か創作することが好きなので、曲作りを通して身も心も音楽に浸りたいです」
幼い頃に抱いたおとぎの国のお姫様の夢を実現させた彼女を応援せずにはいられない。他のものを犠牲にしながらも、歌に身を捧げ、夢への道を切り開いてきたのだから。HIMEKAの活躍を世界中が注目している。そして、彼女はすべての人のマジック・スパークルー魔法の輝きーが、一層輝くのを願っている。

 

Story by Melissa Feineman
J SELECT Magazine March, 2010 掲載
【訳: 青木真由子】