水槽の時代 ~水槽に思いを馳せ 浸る~

日本人の魚をペットとして飼育するというイメージは、子供の頃に見たテレビの上に置かれた安っぽい金魚鉢の中を、元気なく泳ぐ可哀想な金魚の記憶を思い起こさせるかもしれない。しかし、近所の公園で木々が生い茂り、蒸し暑くなり始めるこの時期こそが、部屋の中だけではなく水槽の中でも自然を楽しむ事ができる季節なのである。

魅惑的な水槽、水中ガーデニングの世界へようこそ。青々とした水槽の中は禅の世界に満ち、秘めた平穏そして風水の術が至るところに感じられる。

「風水」は文字どおり風と水、という意味である。中国では4000年もの間、水は豊かさ、財産を象徴する物とされてきた。そのため水槽を家の中の適切な所に置けば、富みと幸運とが家族にもたらされると信じられてきた。この考え方はビジネスにおいても当てはまるため、中華料理店に入ると入口から見える所に水槽がおいてあるものである。風水では水は幸運、調和、健康を家族にもたらすとされている。玄関の左側に外を見る方向に水槽を置くと、お金が貯まるとも言われている。

水槽の世界を創作する時、魚の数が重要な意味を持つ。大抵の数は可能だが、4は死の世界をイメージさせるため、中国や日本では一般的にタブーとされている。風水にも水槽の中の魚の数にも興味がない人もいるだろうが、もし4か月後に突如仕事に失敗してしまったら、水槽を好運の場所に置きたくなるだろう。

後藤まなみは、築地市場駅の近く、銀座にある洞窟のような熱帯魚店、パウパウ・アクアガーデンで働いている。協調性・力・日本的な「和」が仕事場にもたらされるようにという思いを込めて、近隣の企業がロビー等に水槽が置く事が多いと彼女は言う。

パウパウのご贔屓は誰かと聞くと、彼女は迷わず「お金持ちです。」と笑って答えた。多忙で疲れ果てた雰囲気を癒そうとして、日本のかなり有名なタレントやテレビスターも常連客だと言う。実際、夢を実現させるために問題となるのは金銭である。リラックス効果のある青い光を放ち、カラフルな魚が泳ぐコーヒーテーブル型の水槽は、特別価格37万円で売られている。ライアン・スト−バーは、水槽のオンライン販売を行うウェブサイト<www.suiso.com>を立ち上げた人物である。彼が過去見た中で最も高値だった魚は、体長100センチ程の赤いアロワナで、70万円であったと言う。

この魚は稀少価値が高い為、法外な値段がつけられていたのだろう。事実、アジアンアロワナは絶滅危惧動物として登録されている。更に近年、映画「ニモ」の影響で熱帯魚人気が高まり、ペットとしての需要が増えたため、沖縄に生息しているクマノミの数も激減している。如何にして産地が異なる熱帯魚を、同じ水槽で上手に飼う事が出来るだろうか。日本はアメリカやヨーロッパと比較し、熱帯魚の輸入に対する規制が緩い。しかし、絶滅の危機にあるアジアンアロワナのような熱帯魚を販売する際には、CITES(ワシントン条約で定められている動植物を取り扱う際に必要な証書)が必要となる。

「マレーシアの養殖場で飼育された熱帯魚の販売は、殆どの場合抑制する事が出来る。」とストーバーは指摘する。「しかし、アマゾン川に野生で生息しているような数々の品種をも、日本では販売をしている。日本人は熱帯産の稀少品種を好み、大金を払っているのだ。」

熱帯産の全ての魚が絶滅の危機に瀕しているわけではない。南カリフォルニア出身のスト−バーは、「日本では熱帯魚を飼う楽しみの一つとして、確かに可愛らしいが珍しくもないネオンテトラを選ぶ以外にも、稀少品種を収集出来るという選択肢もある。日本は、アメリカよりも熱帯魚の種類が豊富で、ワイルドコリーズや淡水エイなどが見られるし、熱帯魚コレクタ−の数は日本人の方が多いのではないか。」と言う。

まず初めに水槽を良い環境に保つ為、水槽の中に小さな生態系を作り上げなければならないという難しい課題に直面する。魚と植物の生態系のバランスを保つために、水温、土壌、照明等にも細心の注意を払わなければならない。初心者の最も陥りやすい間違いは、失敗すると諦めてしまい、改善しないままの状態にしてしまうことであると、後藤とスト-バーは指摘する。「失敗から学ぶ」これは誰がいった言葉だろう。

忙しい東京人であっても、お金も時間も場所もかかる犬や猫と比べたら、熱帯魚を飼う事は決して難しい事ではない。

スト-バーも同意見である。「基本的なルールさえ守れば、熱帯魚を飼うことは難しくない。注意して水を取り替えたり、魚と植物を増やし過ぎたりしなければ、見た目にも美しく、水槽内の生態環境も適切な状態で維持できる。」

熱帯魚に関する知識がないと確かに失敗しやすいが、例え知識がなくともペットショップの店員に聞けば、正しい情報を分かりやすく説明してもらえるだろう。

「問題ない。知識豊富なペットショップの店員は、外国人客様にも適格なアドバイスをしてくれる。」とスト-バーは言う。

水槽の中の世界を創り上げ、維持していく為の勉強を本格的にしていたら時間が掛ってしまう。しかし鱗が変色して魚が死んでしまわないように、水槽を良い状態に保つためのアドバイスが掲載されているウェブサイトから、役立つ情報を得る事が出来る。

日本において、水槽で魚を飼うという歴史は大正初期に遡る。第二次大戦後、日本は世界各国の文化と接する機会を多く持ち、アメリカやドイツで鑑賞用魚飼育が流行っていた影響を受け、日本でも趣味として魚の飼育が定着し始めたのだ。池や湖で色とりどりな鯉を飼うという伝統的なスタイルから、家の中で熱帯魚を飼うというスタイルに変化したのである。当時は輸送費が高かった為、フイリピンで熱帯魚を養殖し輸入するという事は出来なかったので、沖縄に生息する海水熱帯魚が普及した。日本経済がバブル期を迎えた1980年代、輸送費が安くなったにも関わらず、熱帯魚や珊瑚の値段は異常なまでに高騰した。日本経済が驚くべき成長を遂げた時代に、熱帯魚は富裕層の珍しいペットとなり、大金をつぎ込み、趣味として熱帯魚を飼う人が急増した。

贅の限りが尽くされ、睡蓮が浮かび、別世界のような日本の様式美は、世界中の人々を魅了した。そして当時現れたのが、天野たかしである。天野の水槽デザインは世界的にも高い評価を受けた。透き通るような広がりを求め、より自然に近付けたデザイン構成は革命的なものであった。

それは、日本で水中盆栽を趣味とする人々を魅了し、水中植物を育てる空間であった。実際に日本が水中技術の最先端である事は偶然ではない。天野は水中植物を禅スタイルにアレンジした。彼の作品は緑が生い茂り、先に述べた冴えない金魚鉢とは対照的な物である。

天野は作品のヒントを大自然から得ていて、魅惑的な部分とリラックスを感じさせる要素、この2つの力をガラスの箱の中に融合させ、人間と自然を結びつけようとした。自然の要素を、独創的、かつ実験的な試みで、作品の中に取り入れようとしている。自然の力に反した作品は腐敗してしまうという見解から、自然に沿った作品を作ろうと努めた天野は非常に謙虚であり、現実的である。水槽は狭くて閉ざされた世界であるが、その小さな世界で生き物が生存していると感じている。「生物の生態系システムは融合の傾向にあり、自然の秩序は形のあるものとして、具現化され始めたのだ。」

スト-バーは、子供時代、釣りに熱中し、捕まえた魚を育てる事に夢中になったと言う。その体験から水槽と自然とを結びつける事に情熱を傾けるようになった。彼は日本の水族館を訪れた時、目の前に広がった情景と音、そして植物、光、魚、水とが融合した、懐かしさを感じさせる素晴らしいおとぎの国に、すっかり魅了されてしまった。

日本人は生け花、盆栽、日本庭園の要素を用いて、日本全国の水族館を作り上げていると、ストーバーは感じている。自然のワンシーンを部屋の中で身近に楽しみたいと思いつつ、鑑用植物を夏には枯らせ、冬には凍らせてしまうような都会人だが、水槽を部屋の中に置けば美しさに心を癒される事だろう。

「私が作り上げた水槽は生きている芸術作品であり、ストレスから解放される神聖な場所なのである。」とスト-バーは説明する。彼の水槽創作のコンセプトは、悩める都会人の避難場所として、心のバランス感覚と癒しを与える事であると、水槽愛好者に広く知られている。水槽を置いた事のない人でも、水中生物を見る事により、深い静寂を感じるであろう。水槽中世界を作り上げるという事は、創作料理や彫刻などを創作する時に使う魔法の材料のように、生物を使い、生きた芸術作品を作り上げる至福の作業だと、多くの愛好家は言う。生育を続ける芸術要素が詰まった小さな水槽は、人々に平穏と静寂を与えられる事が出来るのであろうか。

「勿論!」とスト-バーは熱く答えた。「私は天野の作品を見て人目惚れしたのだ。」ストーバーは、天野の作品について、「ごく自然に見える。しかし実は日本庭園の要素と天野の細かい手作業とが施されているのだ。」と絶賛する。魚は無反応で鈍く、抱き締める事も、散歩に連れていく事も出来ないじゃないかと言う人がいるかもしれない。しかしスト-バーは反論する。

「性格的にも成長を見せるチチェリッドのような魚もいる。何時間水槽を眺めていても、同じ情景は二度と繰り返されない。水槽は単なる魚を飼育する為のの入れ物なのではなく、私を魅了する自然の一部分なのだ。」

パウパウの後藤まなみは、隠そうとしても光り輝く程に熱い、水槽に対する情熱を語る。両親が熱帯魚ペット店を営んでいたため、眠気を誘うような水の泡に満ちた水槽に囲まれて育った。子供の頃に安心感を与えた場所は、ごく自然と、大人となった彼女の仕事場に変わったのだ。

将来的には、自然で生息が出来なくなった熱帯魚を、人為的に水槽で育てなければならないかもしれないと、後藤は予測している。環境の悪化という要因も伴い、飼育するという事は、自然と大きく、極めて重要な意味を持つ趣味となっていくであろう。ストーバーは、本物の珊瑚礁を水槽内に生息させるという未来の養魚水槽を研究する為に、多大な投資をしている。この野心的な計画は、恐らくあの大胆であった水中建築家、天野たかしの右に並ぶものであろう。

ストーバーは、水槽の偉大なゴットファーザーとして、自らの創作作品・水槽について、情熱的に名言する。「全ての人間は、自分の心の中に、何かを感じもっている。水槽が私達に与える無限の安らぎは、自分自身の中にある理想郷から感じとる何かなのかもしれない。」

Story by Jo Bainbridge

From J SELECT Magazine, July 2004