ペダルパワー

鳩山由紀夫首相は、今後10年間で日本の温暖化ガス排出量を25パーセント削減するという民主党の公約を、声高に主張している。この目標を達成するために、エコフレンドリーな(地球環境に配慮した)企業や、家屋、自動車などに減税措置を導入している。しかし鳩山首相は、この目標を達成するための確実な方法を一つ見落としているようだ。それは、有毒な排気ガスを排出する自動車ではなく、自転車に乗ることを推奨することである。
公平を期すために言うと、実のところ鳩山首相は、より多くの人に車の運転をしてほしいと強く願っている。だからこそ、景気の良くない日本の自動車産業と、経済全般を復活させるために、高速道路の無料化という別の公約を掲げているのだ。
しかしこの公約は、鳩山首相の環境問題に対する発言と比較してみると、少々矛盾しているのではないかと思わざるをえない。ただし、少なくともその考え方自体は、正しい方向に向いていると言えるだろう。
政治的な問題や矛盾する政策はさておき、次のような事実がある。一般的な乗用車からの排出物には、窒素酸化物、一酸化炭素、二酸化硫黄、オゾンが含まれている(ただし排出物はこれらに限定されるわけではない)。自動車を運転する人は、これらの有害物質を排出して母なる大地を汚染し、取り返しがつかないほど大量のカーボンフットプリント(炭素の足跡)
(※1)を地球に残してしまうのである。
反対に、自転車に乗ることによって排出されるのは、次のようなものである。水(99パーセント)、ナトリウム、カリウム、ビタミンC、尿酸、尿素、アンモニア、乳酸、塩素化合物、電解質──つまり、汗である。エコフレンドリーなこれらの排出物は、自然に蒸発するばかりでなく、せっけんと水で洗い流せばなんの痕跡も残らない。
良い点はほかにもある。通勤(あるいはその一部)に自転車を使う人が増えれば、有害物質が生成されないだけでなく、電車の混雑は減り、少なくとも理論上は電車の運行回数も減らすことができる。国民は元気で健康になり、膨大な医療費も削減できる。また、肥満や生活習慣病も減る。
つまり、自転車に乗ることは健康に良いことなのだ。しかも、サイクリングは環境を破壊しない。自転車という交通手段がもっている疑いようのない利点は、日本政府によって見過ごされてきたわけではない。「コミュニティーサイクル」と名付けられた一連の実験的試み(社会実験)が、日本各地の地方自治体で進められている。
環境省はJTBと協力して、通勤者が多い都心に「エコポート(貸出拠点)」を設置した。エコポートには原則的に無人の貸出機器が設置され、自転車の貸し出しが行われる。東京では手始めに、千代田区大手町・丸の内・有楽町のビジネス地区に、おおむね300メートル間隔で5カ所のエコポートが設置された。
エコポートには合計50台の貸出用自転車が配置され、どの拠点でも返却が可能となっている。東京に続いて、北海道、大阪、名古屋でも、同様のプロジェクトが開始された。
自転車を借りるには、最初にJTBで登録する必要がある(クレジットカードが必要)。自転車の貸出時間は24時間を上限とし、24時間経過後は自転車代金相当額がクレジットカードに請求される。JTBはICカード──Suica(スイカ)やPASMO(パスモ)と類似のもの──を発行する。自転車の返却時は、FeliCa(フェリカ)が搭載された携帯電話を使って精算を行うこともできる。
自転車を短時間だけ利用したいときには、最初の30分は無料で使用できる。それ以降の利用料は10分100円で、3時間以降は5分ごとに100円の利用料がかかる。ツール・ド・フランス(※2)のように長距離を走ることが好きな自転車愛好家にとっては、少々残念な料金設定だと言えるだろう。
この社会実験の結果は概して肯定的なものだったが、初期段階の小さな問題点もいくつか指摘されている。たとえば、自転車のサドル(座席)の高さが調整できないこと。また、それよりも若干厄介だと思われる問題は、自転車の返却が1〜2カ所のエコポートに集中してしまうことだ。そのため、それ以外のエコポートでは自転車不足になってしまう。これではプロジェクト自体が成り立たなくなってしまうのではないかという心配が生じる。
名古屋では、名古屋市と名古屋大学が実施主体となって、300台の自転車(放置自転車を修理して活用)を使って同様の実験が行われた。会員登録を行えば、30カ所の貸出ステーションから無料で自転車を借りることができる。
名古屋大学大学院環境学研究科の竹内恒夫教授(環境政策論)は、「この実験の主たる目的は、放置自転車を減らし、二酸化炭素排出量を削減することにある」と語る。
「この実験によって問題点を明確にし、ほとんど平地で坂道が少ない名古屋において、市内を移動する手段として、自転車の活用機会を増やしていきたいと考えている」
現在、ヨーロッパの80近くの都市で、本格的なコミュニティーサイクル・プログラムが導入され、活用されている。アメリカでも導入する都市が増えている。日本の環境省は、ヨーロッパやアメリカの行政機関と同様に、環境にやさしい自転車を使ったこのプロジェクトを推進し、コミュニティーサイクルがもっとも発達しているパリのようなレベルまで拡大しようと計画している。
パリの有名なレンタル自転車サービス「Velib」──無料自転車を意味する「velo libre」を略して名付けられた──は、2007年に始まった。パリ市内には、300メートルごとに1451カ所の自動化された自転車貸出ステーションが設置されている。粋なパリジャンは、タクシーやバスに乗ったり、地下鉄を利用したりする代わりに、2万600台の自転車が設置されているサイクルステーションから自転車を借りて使うことが少なくない。クリーンな輸送手段として自転車を利用する「ペダルパワー」がパリで流行しているのであれば、新しいものに敏感な日本の都市生活者が、それに追随するのは時間の問題だと言えるだろう。

Story by Jon Day
J SELECT Magazine, February 2010 掲載
【訳: 関根光宏】