輝きの島~奄美大島~
1908年に栃木県で生まれた田中一村は、名高い東京美術学校(現在の東京芸術大学)日本画科に入学した。日本の中央画壇から離れずに活躍していれば、将来は確実に約束されていたのだが、一村はみずから独自の道を歩むことを選んだ。安…
1908年に栃木県で生まれた田中一村は、名高い東京美術学校(現在の東京芸術大学)日本画科に入学した。日本の中央画壇から離れずに活躍していれば、将来は確実に約束されていたのだが、一村はみずから独自の道を歩むことを選んだ。安…
谷中には東京有数の広さを誇る谷中霊園があり、地元の人々からは谷中墓地の名前で親しまれてきた。70年以上前に、谷中墓地から谷中霊園へと正式に改称された。谷中は、旅行者や地元の人々から、東京でも下町風情の残る町の一つとして長…
北国では、必ずしもすべての物事が順調に運んでいたわけではなかった。西暦645年、東北地方に「道奥国(みちのおくのくに)」が設けられた。それ以降、この地方に暮らす人びとは「蝦夷(えみし)」と呼ばれるようになった(「蝦」とい…
東京の北東に位置する柴又ほど、かの有名な「フーテンの寅」さんを生み出す土壌がある場所は、東京の他のどの地域を探してもないであろう。東京都民の目からすると、労働者が多く住む東京東部の足立区、墨田区、江戸川区、荒川区などが下…
茶室がある場所を地図上に記入していけば、日本全国を旅して回るプランがいとも簡単にできあがる。文化があるところには茶席がある、と言っても過言ではない。 雄大な山々に囲まれていると、どんな自信家でも謙虚な気持ちになる。それは…
何世紀にも渡り、東京の北東に位置する浅草は、文化の中心地として栄えた。 東京の郊外に位置する浅草は、小さな漁村であった。浅草寺とそれに隣接する浅草神社を囲むように村は発展した。浅草寺も浅草神社も、漁師によって草創された。…
小浜島(こはまじま)は統計上の人口が436人の小さな島だ。八重山列島の小島に見られる昔ながらの特徴を備えている。簡素な港の周辺には人家がほとんどない。島をぐるりと一周する道路があり、集落は島の中心部にある。これらはすべて…
アジアの国々では、寺院や神社など、信仰とつながりのある場所には必ず市場がある。日本もその例外ではない。言うなれば、聖なる場所全体が商取引の場所のようになっているのだ。つまり、関わりのあるすべての人が利益を得て、満足できる…
神戸では、田んぼのある風景を目にすることはあまり多くない。海に面した細長い市街地をもつ神戸は、昔から港町として整備され、港につきものの波止場や税関、石畳の広場、倉庫などがつくられてきたからだ。 外国人居留地ができるまで、…
青緑色の砕けやすい火山岩で覆われた日本列島は、いつなんどき火山が噴火して、火の海になっても不思議ではないように思える。地震の多い日本列島の南端に位置する九州は、日本のそのほかの地域と比べて、そうした現象が起こりやすい場所…
最近のコメント