インテリアデザイナー 杉本 貴志

はっと息を飲むような美の空間を生み出す者が、空間に対するのと同じ感覚で身をこなしていると期待したならば、あなたはきっと驚くことであろう。杉本貴志は、あまり身なりにはこだわらない。どんな人と会おうとも、いつもカジュアルなスタイルだ。靴下にビルケンシュトックの靴を合わせ、グレーのポロシャツに、良く履き慣らされたリーバイスのジーンズを合わせている。そのポケットには、財布が入れられている。彼は、大変な愛煙家だ。いつもタバコを吸っている。また、とても礼儀正しく、社交的でもある。杉本の親友である建築家の安藤忠雄氏は、彼について次のように語った。「杉本は、とてもフレンドリーで純粋な反面、他の人の意見を聞かない頑固な一面もあるね」実際、杉本が笑うと、そこには少年のような無邪気さがある。一方で、文化やアイデアのコンセプトについて語る時、彼の態度は一変し、そこには、知的で熱情的な杉本がいる。彼は、自分の考えをより具体化するために、詳細な日時や出来事について言及しながら語る。杉本がデザインを手掛け、オーナーでもある恵比寿に新しく開店したレストラン『春秋ユラリ』の和洋折衷造りの個室で、彼は、今日にとって何が重要であるかを熱心に語ってくれた。

インテリアデザイナーである杉本貴志の名は、誰もが知っているという訳ではない。しかし、彼が手掛けた素晴らしい作品の数々をご覧いただければ、彼がいかにインテリアデザイン界の重要な人物であるかがおわかりいただけるだろう。杉本の作品は、コンテンポラリーデザインの域を超えている。彼の果たした功績は、日本内外の文化を明確にするのに不可欠な要素となっている。杉本は、世界中の有名なレストランやバー、ホテルのデザインを手掛けた。彼が率いるインテリア設計事務所、スーパーポテトの運営を手掛けるだけでなく、武蔵野美術大学でも教鞭を執る。そして、毎日デザイン賞など数々の賞を受賞した。

2005年、ソウルにあるパークハイアットホテルのデザインを手掛けたことによって、杉本は、日本人デザイナーの中で初めて超一流豪華ホテルの全面的なデザインを依頼されることとなった。現在は、上海にオープンするドバイに本拠地を置く高級ホテルチェーン、ジュメイラ・インターナショナルのインテリアデザインを依頼され、最後の調整を行っている。12月に終わる予定であるが、杉本は、ジュメイラ・インターナショナルのデザインを「コンテンポラリーな中に、アジアのモチーフを加えている」と説明する。シンガポールからラスベガスまで、注目に値する数々のホテル・レストランやバーのデザインを手掛けたことによって、杉本は、高級ホテルのデザインを依頼されるようになった。

杉本がレストランやバー、ホテルなどを専門にデザインするのは決して偶然ではない。なぜなら、彼はホスピタリティーの大切さについて揺るぎない信念を持っているからだ。杉本自身が、ホスト役を演じているのだ。熱海にある杉本のプライベートなオアシスに幸運にも招かれた人は、最初、花崗岩を削って作られた湯船に浸かる機会に恵まれる。暖かいお風呂に浸かった後は、杉本がデザインの細部にまでこだわった茶室に案内される。お茶を楽しんだ後は、地元で獲れた魚と野菜を堪能する。

杉本にとって「おもてなし」とは、儀礼的な動作以上のものであり、茶道に例を見るように、文化的なアートなのである。実際、杉本は熱心に茶道を実践している。「茶道は、お茶をおいしく入れる以上のことなのです。心を表現することなのです。茶道は、創造的行いなのです。技術的なことではありません。何が大切であるかを知ることだと思うのです」

杉本がインテリアをデザインする上で最も大切にしていることは、その空間にいる人々のコミュニケーションが促進されるような場にすることである。「良い材料を買って、家でおいしい好みの料理を作ることは毎日出来ることです。レストランは、おいしい料理以上のことを提供しなければなりません。人々がレストランに行くのは、家では経験出来ないようなコミュニケーションがとれて、心の豊かさを得ることが出来るからです」

コミュニケーションをとる場所として、杉本は、レストランの他にバーの文化を支持している。戦後の日本において、居酒屋が作り出した文化は大変意義深く、重要な発展をもたらしたと主張する。杉本は、明治32年を極めて重要な年であったと指摘する。その年、デパートの三越が初めて開店し、農業従事者の割合が50%を切った。必然的な動向として、都市部ではサラリーマンとして働く人が増え、収入を生活以外の趣味や余暇などに使う道が得られるようになった。「サラリーマンにとって、仕事の後に居酒屋に集まって、リラックスして飲みながらコミュニケーションを取ることは、大きな社会的な役割を果たすことになりました。居酒屋は、農業従事者の中心に存在していた共同社会の代わりとなりました」杉本がデザインした『春秋』のレストランやバーに込められた思いとは、お客様がまるで居酒屋でリラックスするようにコミュニケーションがとれる場でありたいと願う思いである。

杉本は、海外の文化にも目を向ける。イギリスやオランダのバーの文化は、地元の人々の心の中に深く浸透している。「素晴らしい数々のプロジェクトは、イギリスの田舎のパブで何パイントもビールを飲み交わした中から始まりました」杉本は語る。杉本が日本風のバーをロンドンにオープンした時、彼は日本の居酒屋の文化に敬意を払い、焼酎バーを作った。焼酎は、芋から作られた安価なお酒であり、居酒屋で労働者層に広く好まれて飲まれたお酒である。

一方で、ソウルのような街では、居酒屋のように誰もがコミュニケーションをとれる場所がまだそれほどないと杉本は指摘する。だからこそ、杉本がパークハイアット・ソウルにあるティンバーハウスをデザインした時、彼は「リラックスした雰囲気の中で、大人が心の底から感動し楽しめるバー」を作りたいと思った。ティンバーハウスにはいくつかの空間がある。誰かの家のリビングルームのようにのんびりくつろいだ雰囲気のスペース。そして、別の空間には、誇らしげにライブステージが設けられている。もちろん、バーカウンターもある。杉本は語る。「ソウルはここ何年間で急激に発展しました。急速な産業化が20年前に始まったことを忘れる程の勢いです。今こそアートが花開く時期であると思います」

日本のアートシーンへと杉本を駆り立てた彼の初期のプロジェクトの一つに、1971年にデザインしたRadioと呼ばれるバーがある。日本の伝統文化に対する敬意を払うことの大切さと、デザインに世界中の新しい要素を組み入れるというメッセージを、杉本はデザインを通して伝えたいと考えた。そこで、杉本は、桜の木をバーカウンターの木材として選んだ。茶道の精通者として、不完全の中の美は、杉本が親しみを持っている禅の概念である。伝統的なデザインの一方で、Radioの壁は錆びついた鉄で覆われている。当時、それは新しい素材であった。Radioは、原宿にある9つの席しかない小さなバー・スペースであるが、東京のトップ・デザイナーやアーティストたちが入り浸る場となり、杉本は一躍有名なデザイナーとなった。

日本の最先端を走るデザイナーとしての杉本の評判は、ブランドの新しいコンセプト(消費、生活、スタイル)を築こうとしていた西武百貨店の堤清二氏の目に留まった。そのブランドは、後にMUJI(無印良品)として世界的に有名になる。著名なグラフィック・デザイナーであった田中一光氏(故人)、それに影響力のあるクリエイティブ・ディレクター小池一子氏と共に、ブランドを立ち上げるために杉本は呼ばれた。「ブランドを立ち上げたばかりの頃は、小さなチームで動いていましたので、ビジネスの様々なことに携わりました」杉本は当時を思い出しながら話す。「堤清二氏は、とても明確なビジョンを持った方で、最もクリエイティブなバイヤーのグループを抱えていました。彼らは、アメリカから安い黄麻布を仕入れ、南米から黄味がかった色合いのナチュラルコットンを仕入れました。無印良品の商品は、これらの加工されていない外国産の安価な材料から作られました。ブランドの立ち上げは、とてもわくわくすることでした。1980年代初期、誰もこのようなことはやらなかったからです」

「田中一光氏が、無印良品の名前を思いつきました。無印良品の名の発案は、ただただ素晴らしい。そこには、無限の可能性を秘めているからです。MUJIトラベルやMUJIスポーツなどがアイデアとして考えられます。無印良品のシンプルなデザインは、無駄なものを完全に省いた簡素さを大切にする日本の美に通じるものがあります」

無印良品のデザインコンセプトは、まさに時代の流れに合っていた。日本は、最初のオイルショックの最中にあった。価格は上昇し、消費は抑えられていた。無印良品の新しい小売のコンセプトは、質の良い商品を手頃な価格で売ることにあった。それは、ブティックでもなくスーパーマーケットでもない。青山にある無印良品の最初の路面店のデザインを杉本が手掛けた時、街にある活気に溢れた市場を想定してデザインした。食品にも洋服にも同じ種類の棚を設けた。無印良品では余分なサービスは提供しない。それは、裕福な人々にも気に入られ、彼らがタクシーで乗りつけ、トイレ用品や雑貨を買っていく姿がよく見られた。無印良品のデザインコンセプトは、ユニバーサルである。年齢や性別はもちろんのこと、国境をも越える。ノルウェーから台湾まで、無印良品(MUJI)は、海外に76店舗、そして、国内に181店舗展開している。2003年、ミラノで初めて無印良品の商品のデザインコンセプトの国際展示会が開催された。杉本が展示会の空間のデザインを手掛け、審査員として出席した。杉本は今現在も、小池氏らと共に無印良品のアドバイザリーボードとして、無印良品のアートディレクションをしている。杉本にとって、無印良品の精神を貫いていくことは、自分自身の信念を貫いていくことに通じている。

杉本がデザイナーとして追求しているものは、デザインのシンプルさだ。難解に映るものこそシンプルな形に具現化するのだ。「例えば、短歌を例に見ましょう。短歌には五句しか存在しません。しかし、長い歴史の中で日本人は、その短い31音に思いのたけをぶつけ、表現してきたのです」

Story by Carol Hui
J SELECT Magazine, November 2008 掲載
【訳: 青木真由子】