東京を走る

最新技術との連携で、活況を呈する昔ながらのエクササイズ

ペイジ・フェラーリ

「川のことを考えようと思う。雲のことを考えようと思う。しかし本質のところでは、なんにも考えてはいない。僕はホームメイドのこぢんまりとした空白の中を、懐かしい沈黙の中をただ走り続けている。それはなかなか素敵なことなのだ。誰がなんと言おうと。」――村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』(「文芸春秋」p.40、2007年、)

毎朝、ラッシュアワー前――そして平日の夕暮れ前――のひととき、東京の皇居周辺の歩道はランナーであふれかえる。

ヘッドホンをつけている人もいれば、仲間とおしゃべりをしている人もいる。かろうじて歩くより速い速度で走っている人もいれば、風を切って疾走している人もいる。週末になると何千人ものランナーが集まり、上下に揺れながら汗をかいて走る集団を形づくっている。日本語の「我慢」という言葉を地で行くような光景だ。

「今はまさにランニングブームのただ中にある」と語るのは、東京で人気のランニングクラブ「南蛮連合」の代表であり創設者でもあるボブ・ポールソン。3年前から――ポールソンさんによると「すべては2007年の東京マラソンから始まった」――かつてはトレーニングを積んだ限られた人々のスポーツであったマラソンの人気が急に高まり、新参の愛好者が急増した。

2010年の東京マラソンでは、3万2000人の定員に対して27万2000人以上が抽選に応募した。そのうちの40パーセントは、初めてマラソンを走る人たちだった。来年はさらに多くの人が応募する見込みだ。デイリー・ヨミウリ紙によると、受け付け開始から24時間で応募者が3万2000人を突破した。

「ニューヨーク・マラソンでは10万人、あるいは15万人の参加希望者が集まる」とポールソンさんは語る。「しかし世界的に見ても、25万人もの人がマラソンの抽選に応募するなどということは考えられない」

ランニングブームの到来によって、ビジネス機会も生み出された。皇居周辺の歩道がランニングコースとして人気となり、ここ数年のあいだに、汗をかいてのどを渇かしたランナーが、シャワーを浴びたり休憩したりできるような施設が急増した。

はやり廃りという観点からすると、ランニングは一時的な流行とは正反対のエクササイズのように思える。つまるところランニングは、おそらくもっともシンプルなエクササイズであり、特別な用具やユニホームを必要としない。また、先生について習う必要もない。フィットネスも流行の波に乗ったが、ワンシーズンかツーシーズンで流行は収まった。ところがランニングの人気は年を経るごとに高まっているようだ。おそらくこれは、ランニングという昔からある運動の形態が、日本では(まさに日本流のスタイルで)いくつかの最新のテクノロジーとセットになっているからだ。

孤独なランナーというステレオタイプ的な見方とは裏腹に、最近のランナーは明るく社交的だ。ポールソンさんの南蛮連合のようなクラブに参加するランナーは、たんに走るだけでなく、走ることへの情熱を同好の士と共有する。箱根駅伝のような駅伝レース――駅伝では、走ることが個人的な行為であると同時にチームワークを発揮する場でもある――が国民的な人気を誇る日本では、こうした流れが自然な流れのように感じられる。

「ランニングクラブでの活動を通じて知り合った人の紹介で、仕事を得る人もいる。結婚相手やボーイフレンドと巡り合った女性も大勢いる」と、みずからの体験を元に語るのは、フルマラソンを3回完走したことがあるヒラサワ・メグミさん(24歳)だ。彼女は、南蛮連合の練習のために通っていた代々木公園の織田フィールドで、夫のデービッドと出会った。「デービッドは走っているときに、前を走っているわたしの存在に気づいた」という。

昨年、二人は箱根で結婚式を挙げた。結婚式は芦ノ湖を一周する起伏のある道を21キロメートル走ったあとでおこなわれた。二人はスタート地点から互いに反対方向に向かって走り始め、湖の反対側でふたたび出会うと、シャワーを浴びたり着替えたりすることなく、「いかなるときも、互いが出場するレースを応援することを誓います」、「相手が走りに行くときは、必ずサポートすることを誓います」といった誓いの言葉を交わした。ランニングクラブの30人以上の友人たちが式に参列した。

新しいスタイルのランナーは、社交性を持ち合わせていると同時に、まさしく互いにつながっている。トレーニングに最新の技術を組み入れることによって、ランナーは個人的な自由を謳歌するとともに、他のランナーと互いのハードワークを共有しあうのだ。

グーグルマップは、複雑に入り組んだ場所が多い東京の道路をわかりやすく示してくれる。MapMyRun.comのようなウェブサイトは、他のユーザーが過去に走ったことのある「お気に入りのランニングルート」を表示したり、自分のお気に入りのルートを登録したりするサービスを提供している。

軽くて持ち運びに便利な携帯型のGPS(全地球測位システム)も、ランナーが走りながらランニングコースを決めたりするのに役立つ。GPSを使えば、ロングランがちょっとした冒険となる。あらかじめ調べておいたルートに縛られることなく、自由なランニングが楽しめる。ガーミン社が販売しているようなGPSを搭載した腕時計は、現在位置を確認できるだけでなく、心拍数や燃焼カロリー、走行距離、平均速度などを表示してくれる。ワイヤレス通信技術を搭載し、データをコンピュータに送信することができるモデルもある。

最近、ナイキは、アップル社と共同で「Nike+」というサービスを立ち上げた。シューズの中にセンサーをセットすれば、ランニングの結果をグラフで表示したり、目標を設定したりすることができる。データはNikeplus.comに送信することも可能だ。iPodと組み合わせれば、自分がパワーダウンしていると感じたときに、あらかじめ登録しておいた「パワーソング」を聴くこともできる。ユーザーはツイッターやフェースブックのようなサイトにデータを送り、自分のランの結果を友人に知らせたり、新たなチャレンジ目標を設定したりすることもできる。

「Tokyo-Jogging」というソフトウェアを使えば、梅雨の時期や夏の暑い時期に、任天堂のWii(ウィー)やグーグルマップと連携して、東京の街中を仮想ジョギングすることができる(渋谷のスクランブル交差点でいらいらするようなことはまったくない)。

「テクノロジーとの連携なしでは、走れるとは思わない」と、イギリス出身のジョゼフ・テームさんは語る。テームさんは電車の車窓からは見えない東京の街角を探検するためにランニングを始めた。

テームさんもフィットネスとテクノロジーの融合を経験した一人だ。今年の初めに彼は、Ustreamという動画配信サービスを使って、フルマラソンをライブストリーミング(生中継)で配信し、その両方の限界を広げた。

「重要な点は、経験を共有すること。しかも、ランナーとしての立場からだけでなく、観客にもそれに参加してもらうことだ」と、彼は語る。

2月の雨の日の朝、テームさんは3台のiPhoneで武装して、東京マラソン2010のスタート地点に立った。1台はカメラとして使った。そしてそれを、東急ハンズで材料を買ってきて作った帽子にセットした(「周囲の人々は、まるで頭のおかしな人を見るような目で自分のことを見ていた」とテームさんは言う)。

2台目のiPhoneはポケットに入れてGPSとして利用した。3台目はツイッターのツイートを読んだり、Eメールを受け取ったり、噂を聞いて興味を持ってくれたフジテレビのレポーターから電話を受けたりするために使った。

「最初の数キロメートルを走っているうちに、自分で作った帽子がすっかりばらばらになってしまった」とテームさんは苦笑いしながら語った。ライブストリーミングによる実況中継をあきらめたくなかったテームさんは、iPhoneを手に持って、重い足どりでゆっくり進み続けた。

「テクノロジーのおかげで、元気よく走れたり、少しだけ速く走ったりできることに気づいた」「携帯電話を手に持って、ライブ中継しながら42キロメートルを走りきるというのは、正気のさたではないように思える。しかし実際はそうではなかった。人は何事かに熱中すると、痛みもあまり感じなくなる。ただしそれは、30キロメートルぐらいに達するまでの話だ……その後は途中でやめてしまいたくなる」

そうこうするうちに、マイクロブログ・サービスのツイッターを通じて励ましのメッセージが届くようになり、彼は走り続けた。140文字の励ましの言葉が、最初は英語で次々に届いた。

「(自分宛ての)ツイートを表示してくれるソフトウェアをあらかじめインストールしておいた。でも、その後メッセージは届かなくなった。壊れてしまったのかと思ったが、そのソフトウェアでは日本語を表示できないことに気がついた」。英語だけでなく日本語のメッセージも次々に届いていることを知ったテームさんは、走りながらの実況中継を日本語に切り替えた。すると、それを視聴する人がどんどん増えていった。

「走り始めてから30キロメートルぐらいを過ぎたとき、中継を視聴している人たちから『ジョゼフさん、がんばって!』というメッセージが届いた。すっかり疲れ切っていたわたしは、そのメッセージを見て、どこか別の世界に迷い込んでしまったのではないかと思うほど驚いた」

しかし、ジョゼフという名前を叫んでいたのは、紛れもなくこの世界の住人――男性もいれば女性も子供もいた――だった。見ず知らずの人たちだったが、彼らは沿道に立ち、応援のプラカードを掲げたり、カレーパンをくれたりもした。

「その後わかったのは、彼らはマラソンコースの近くに住んでいる人たちで、知り合いが走っているわけでもないのに、ランナーを応援していたのだ」とテームさん。「彼らはツイッターを通じてわたしのことを知り、応援してくれた」。ライブストリーミングしながら走るジョゼフが近づいてくると、彼らもそれをライブストリーミングで配信した。沿道で応援してくれた人たちは、たんに励ましの言葉をかけてくれただけでなく、ノート型のコンピュータや、Pocket WiFi(ポケットワイファイ)のようなモバイル機器も携えていた。

レースが終わりに近づく頃には、テームさんは1時間で1000のツイートを受け取っていた。その中の一つには次のように書かれていた。「ジョゼフのUstreamをみんなが見ていることを忘れないで欲しい。これはテクノロジーの勝利ではなく、人間の心の問題だ」。結局のところ、その両方の勝利だった。最初は70人だったストリーミング中継の視聴者は、テームさんがゴールにたどり着いたときには1万3000人にふくれあがっていた。

「わたしがゴールにたどり着いたとき、誰かが泣き始めたのに気づいた。彼らはわたしのチャレンジを自分のことのように感じてくれた。わたしだけの私的な事柄ではなかったのだ」と彼は言う。そして次のように付け加えた。「2万9000人の見ず知らずの人々が、精一杯、なにかしらのことをしてくれた。彼らは意味なくiPhoneを持っていたのではなかった」

東京周辺の有名ランニング・スポット

皇居

皇居のランニングコースが人気を集めるのは理由がある。1周5.3キロメートルのコースは、交通(自動車)に邪魔されることなく走ることができる。コースはほとんど平坦で、すべてのレベルのランナーが楽しめる。

代々木公園

目の刺激を求めるランナー――メイドやアイドル志望者があふれかえる原宿の街を想像してみよう――なら、代々木公園の1周3キロメートル弱のコースを楽しみながら走ることができる。火曜日と木曜日には、すぐ近くにある織田フィールドも一般開放されている。ボブ・ポールソンの南蛮連合は、水曜日の夜に織田フィールドで練習をおこなっている。

多摩川

都心からアクセスしやすく、多摩川沿いに長く続くマラソンコース。好きなだけ遠くまで走って行ける。幅の広いサイクリングコースもある。河川敷近くにある駅にはコインロッカーもある。

駒沢公園

もともとは1964年の東京オリンピックの会場としてつくられた。1周2.146キロメートルのジョギングコースがあり、木陰の中を走ることができる。

迎賓館赤坂離宮

都心に位置する迎賓館の外周は3.5キロメートル。大きな坂が二つあり、ハードなランニングコースを探しているランナーにはもってこいのコースだ。建築が好きな人は迎賓館――日本唯一のバロック・リバイバル(ネオ・バロック)様式の西洋建築――の眺めを楽しみながら走ることができる。

Story by Paige Ferrari
From J SELECT Magazine, November 2010
【訳: 関根光宏】