アラン・デュカス~ライフスタイル、すなわち人生~

ここ最近、「ライフスタイル」という言葉は最もホットなマーケティング用語の一つとなった。どこかしこを見ても、自分のライフスタイルについて、あるいは愛用グッズや行き着けの店のサービスを含めたライフスタイルについて、「こんなライフスタイル」あるいは「あんなライフスタイル」と誰かが説いている。ライフスタイルのコンセプトは、比較的新しく、革新的なアイデアであるという印象がある一方で、すでに世の中に浸透し尽くされた感もある。30年に渡り、マントラとも言うべきライフスタイルの真髄を教え説いてきた名声あるレストランプロデューサーを、ジェームス・シカモアが取材した。

50歳を迎えるアラン・デュカス氏は、活動のペースを最近少し緩めてきているようだ。とは言え、フランス料理のシェフとして身を粉にして働いてきた日々は過去のものと言えるかも知れないが、グローバルに展開するその活動はとどまるところを知らない。グループ・アラン・デュカスは世界中にレストラン、ホテル、料理学校を展開しており、出版活動やコンサルティング活動も行っている。

今や料理界のシェフというよりは、一企業家であることになんら疑問を抱かなかった私にとって、朝9時、銀座にある豪奢なレストランの厨房に何の予告もなく颯爽と現れ、見習いシェフ達がうまく立ち回れているかを見に来た時には、驚きを持ってデュカス氏を迎えた。清潔感ある仕立ての良いスーツに身を包み、厨房の中を動き回るその姿は、少し場違いであると言えなくもない。しかし、デュカス氏はまるで自宅にいるかのような、自分がいるべき場所にいるのだという、そんな雰囲気を醸し出していた。

それも、そのはずだ。何と言っても、ミシュランで三ツ星を三つも獲得しているマスターシェフである。2004年12月、日本市場への初挑戦となったレストラン「Beige Tokyo」(ベージュ・トウキョウ) をオープンさせた。開店から一年半であるが、成功と言えるであろう。そのエレガントなレストランの開店は、世間の注目を大いに集めた。Beige Tokyoは、スタイリッシュなシャネル銀座ビルディングの最上階に位置する。その成功は、デュカス氏に次なる東京での店舗展開を決意させた。活気に満ちた青山の中心に、昨年、Beige Tokyoの姉妹店として地中海風フレンチ・ビストロ「Benoit」(ブノワ)がオープンした。銀座の大人の雰囲気よりも、楽しさとカジュアルさを追求したレストランである。

たとえ東京での成功が確かなものであるとしても、デュカス氏は椅子にどっかりと座っているタイプの人ではない。2003年11月、アラン・デュカス・フォルマシオン(パリにあるプロの為の料理研修教育センター)が、辻調グループとのコラボレーションにより、日本では初となる料理教育プログラム「ADF+TSUJI」を始めた。プロのみならず、広くアマチュアに向けたプログラムも用意されており、直にグループ・アラン・デュカスの名立たるシェフのフォルマシオン(研修)を受けることが出来る。日本にいながら、パリのアラン・デュカス・フォルマシオンの料理学を教わることが可能だ。

実際、デュカス氏が東京での活動に満足し一区切りをつける時期を予測するのは、ほぼ不可能と言えるであろう。今年11月、グループ・アラン・デュカスは、ベーカリーと食料品店があわさった「ブランジェピスリ」(略して「be」と呼ぶ)を東京に新しくオープンする予定だ。パリにある同名の店がモデルとなる。このような計画が進行中であるがゆえに、デュカス氏の今後の活躍にますます期待は高まる。

「グループ・アラン・デュカスの目標の一つに、一日一日を大切に過ごし自分自身をより高めていく、というものがあります。」Beige Tokyoのダイニングスペースのテーブルを囲みながら、デュカス氏は語ってくれた。インタビューに答えながらも、その日一日が滞りなく回るように、厨房の様子に目を配ることを彼は決して忘れなかった。同時に多くのプロジェクトを抱えるデュカス氏にとって、Beige Tokyoの開店以来、東京でゆっくりと過ごすことは難しいようであるが、建築家ピーター・マリノの設計した店内でとてもリラックスした様子であった。もし、目隠しをして、階下のロビーまでデュカス氏が歩いて行こうとも、無事に辿り着くことが出来るのではないかと思わせる程であった。「今日出来たことは、明日ならもっと良く出来るはずだと我々は考えます。道に終わりはないのです。」

デュカス氏のプロジェクトが、サービスの世界を中心に位置付けられることは認めるものの、彼は自分のプロジェクトがサービスの世界に限定されるものではないと考えている。

「我々のグループの原点は料理学に基づいていますが、私はさらなる世界を開拓したいと考えています。人々に楽しんで頂ける新しいライフスタイルを作り出せたらと思っています。日々の生活に感動を覚えるような、そんなライフスタイルを提案したいのです。」

デュカス氏の成功で忘れてはならないのは、彼が様々な分野の人達とプロジェクトを作り上げていこうとする、その強い意欲である。シャネルとのコラボレーションによるBeige Tokyoの開店や、辻調グループとのADF+TSUJIが良い例である。

「プロジェクトに取り組む際、我々は信頼関係に基づいてパートナーを選びます。お金のことがすべてではありません。ヨーロッパと比較した時、日本でのプロジェクトの進行にはやや時間がかかりますが、得られた結果は費やした時間以上のものがあると断言出来ます。」

日本に最初に惹かれた理由というのは、そこに「ギブ・アンド・テイク」の文化を感じたからだデュカス氏は言う。

「日本人は新しいものに対して非常にオープンで、新しい提案に対してもすぐに受け入れることが出来ます。そして、逆もまた然りです。この果てることのない文化交流は大変エキサイティングなことで、私が日本で仕事をする最大の理由でもあります。ここでは、私のやろうとしていることが深く理解されていると感じます。」

しかし、日本で店を開くということはそれほど容易いことではなく、日本法人の立ち上げに4年半の年月を要した。

「レストランクリエーターとして、それぞれの場所の特徴を活かし、店舗がその場所と調和するように作り上げていくことを心がけています。レストランの企画は国や場所によって違ってきます。また、ある場所にレストランを開店する際、その地域の人々を理解しようと心がけています。その地域の特徴、あるいは、その地域ならではの奥深さとでも言いましょうか。それらをつかみ、我々の企画と共にまとめ上げていくには、最低でも二年はかかります。」

この準備期間は、長期を見据えたプロジェクト成功の為にも、決して避けては通れないものであるとデュカス氏は話す。

「準備期間というのは特に重要なことです。また、最高の形でプロジェクトを成功へ導く為には、初期段階での活動が大切です。もちろん、レストラン開店後に、改善すべき点が見つかればそのように改善すべきです。しかし、最初に決めた目標に忠実であるよう心がけています。」

 

自然の恵み

アラン・デュカス氏は、1956年9月13日、フランス南西部ランド地方の小さな農家に生まれた。自然豊かな環境で、料理の原点である新鮮な食材に触れたことが、彼に多くのことを教えたようだ。

「12歳の頃、週末を利用してフランスの田舎の祖母の家を訪ねました。そこで、彼女が作ってくれた料理が、私が料理に目覚めた最初のきっかけです。」彼は、当時を懐かしみながら語ってくれた。「料理の基礎を作ったのは、子供の頃の思い出です。とても影響を受けましたし、今でも大いに影響を受けています。私が行うことのすべてが、いまだに子供の頃の料理の記憶と結びついています。優れたものを愛する気持ちを子供の頃に学べたことは、何よりの収穫でした。」

デュカス氏は、16歳で初めて見習いとして厨房に立った。それは、ストンにある「パヴィロン・ランド・レストラン」であった。その後、ウジェニー・レ・バンにあるミッシェラン・ジェラール氏の経営するレストラン「レ・プレ・ドゥジェニー」とロジェ・ヴェルジェにある「ムーラン・ド・ムージャン」で修行を積んだ。「ムーラン・ド・ムージャン」では、プロヴァンス料理を学び、それが、デュカス氏のその後の活躍の基盤を作った。

デュカス氏がシェフのポジションに初めて就いたのは、1980年、ウジェン・ムジャンにあるレストラン「ラマンディエ」であった。そこで、厨房のすべてを任された。一年後、彼はジュアン・レ・パンにあるオテル・ジュアンナの中のレストラン「ラ・テラッス」のヘッド・シェフとなった。

1987年、モンテカルロにあるオテル・ド・パリで「シェフ・ド・キュイジーヌ」に任命され、ホテル随一の最高級レストラン「ルイ・キャーンズ」のマネージメントも任された。三年後、ルイ・キャーンズは世界のホテルレストランの中で初めてミシュラン社『レッド・ガイド』にて三ツ星を獲得した。当時デュカス氏は33歳であり、史上最年少の快挙であった。

その後のデュカス氏の活躍はレストラン経営にとどまらず、1995年、プロヴァンスに12部屋備わった宿泊施設「ラ・バスティード・ド・ムスティエ」をオープンさせた。これがきっかけとなり、プロヴァンス地方の他のホテルへの投資も始める。翌年、パリの「ソフィテル・デメール・ル・パルク」内に「アラン・デュカス・レストラン」をオープンさせ、そのわずか8ヵ月後、アラン・デュカス・レストランは、『レッド・ガイド』にて三ツ星を獲得した。

2000年6月には、『ニューヨーク・シティ・エセックス・ハウス』内にアラン・デュカス・レストランをオープンさせ、アメリカ出店も果たした。2005年12月、『レッド・ガイド』にて三度目の三ツ星を獲得した。彼は、ミシュラン・ガイドブックの三ツ星を現在3つ保持する、世界で唯一人の料理人なのだ。

尊敬に値するシェフには、熱情と献身の二つ精神が特に重要であることは、デュカス氏自身認めている。しかし、視野を広く保つ為に、自身の成功は目に見えない何か不思議な力あるいは運命の力による部分もあると、彼は捉えている。

「料理とは常に進化していくものであり、良いシェフである為には、世の中でどんなものが流行っているかを知っていなければなりません。そして、良いシェフである為には、常に好奇心旺盛でなければなりません。」

また、デュカス氏は、世間の注目を独占しているだとか、自慢屋であるだとかの批判をあまり深刻には受け止めていない。

「私の料理は、食材と技の融合であると考えています。真の食材は、非常に細やかな料理の技によって融合し、人々に楽しんで頂けるようにと願う私の思いが、新しい料理を作り出していきます。それ以上でも、それ以下でもないのです。」

 

人と共有することの意味

取材の進行と共に、Beige Tokyoのメイン・ダイニングルームはランチの準備をするスタッフで活気に溢れてきた。グループ・アラン・デュカスの哲学について質問が及ぶと、デュカス氏の表情はそれまでに増して輝いた。

「グループ・アラン・デュカスの掲げる目標の一つに、真剣になり過ぎない程度に物事に真剣に取り組め、というのがあります。我々は、単に利益の為に動くものではありません。仕事がどのように実行されたかということは、一日の終わりにどれだけの利益が生み出されたのかということと同じくらい重要なことです。我々は、グループ全体をより良くしていけるような新しいアイデアと、新たな挑戦に対して常にオープンです。」

仕事において、情報を共有することは重要なことであるとデュカス氏は考える。そして、模倣されることを恐れて情報をため込む人達に対して、批判的な立場にある。

「20年以上に渡って、私は常に情報のパイプ役であるよう努めて参りました。日々の生活においても、情報の共有はとても大切なことだと思うのです。我々は、隠し事を一切しません。繰り返しになりますが、すべてはギブ・アンド・テイクの精神なのです。私の料理研修所には、料理学を学びに世界各国から人々が集まってきます。そして、我々のレシピを学んでいく訳です。同時に、我々は彼らの持つユニークな文化から多くを学びます。お互いに刺激を与え合っているのです。そこには、尽きることのない知識の進化があります。」

デュカス氏は、これが「ライフスタイル」という概念の中心に存在する精神だと考えている。

「それは、人生の在り方と言っても良いかも知れません。あるいは、それ以上のものかも知れません。生き残っていくことすべてについてと言えるかも知れません。人は、新しい考えに対してオープンであり、人とオープンにコミュニケーションすることを常に心がけなければなりません。また、意見やアイデアを交換したり、協同で何かを作り上げたりしていくことも大切なことです。周りの人よりも自分が抜きん出ている必要はありません。一度競争心を捨て、周りの人達とコミュニケーションを図るように努めれば、そこから何かを掴むことが出来るはずです。

このやり方で、グループ・アラン・デュカスは成長を遂げてきました。新しいものと伝統あるものとの交流は、不変のものなのです。それは、ずっと継続していくものなのです。私の持ち得る知識を若い世代に伝えていくことによって、私自身をも向上させることが出来ます。誰かが何かを分け与えようとする時、その人は、与えられる人と対等であることを認めたということなのです。あなたが誰かとある事柄を共有する時、あなたはその人と同等の立場に立つこととなり、誰しもが上の立場でもなければ下の立場でもないのです。」

では、デュカス氏は人生の中で、何が重要なことであると考えているのだろうか。

「私のグループで働いているスタッフ達が、プロとしての人生と同様、プライベートにおいてもハッピーであるよう努めていきたいと思います。仕事もプライベートも一人の人間の人生です。その二つにおいてハッピーであることが、すなわち、その人の幸福へと繋がっていくと考えます。グループ・アラン・デュカスがハッピーで、そこで働くスタッフもハッピーであれば、お客様もハッピーであると信じています。一種のシナジー効果です。

人は、それぞれが独立した人生を歩むべきです。と同時に、同じ人生を歩むべきであるとも思います。なぜなら、つまるところ、“私の人生”とは、我々が生きている世界そのものだからです。」

Story by James Sycamore
From J SELECT Magazine, September 2006
[訳:青木真由子]