半世紀以上に渡る偉業 ~日本学の第一人者ドナルド・キーン~

ドナルド・キーン教授は実に50年以上に渡って日本文学の研究に身を捧げ、東アジア諸国に関する幅広い事柄を扱う研究者として世界的な権威でもある。果たして日本語が流暢でない者でも日本の文化を理解することは可能なのであろうか。ユディ・カワグチが日本学の第一人者に取材する。

日本に関する書物を手にしたことのある欧米人であれば、おそらくドナルド・キーン教授の名前を一度は目にしたことがあるであろう。

83歳のキーン教授は、日本文学や文化に関する書物から日本古典文学や現代文学の翻訳に至るまで、今までに実に40冊もの日本に関する本を、英文で出版している。彼の大著であるAnthology of Japanese Literature (日本語版:「日本文学の歴史」 徳岡孝夫訳 中央公論社刊)は、第一版が世に出てから今年で50周年を迎える。実に半世紀以上に渡って本書は出版され続けてきた。

キーン教授は日本語でも50タイトル以上を出版しており、中には英文から翻訳された書籍もある。20世紀最高傑作と詠われる三島由紀夫の作品も、おそらくキーン教授が翻訳をした故に、これだけの人気を博しているのであろう。

これだけに留まらず、キーン教授の研究は、伝統的な日本のあり方から現代日本に至るまで幅広いため、数多くの新聞や雑誌、学術書や評論に頻繁に取り上げられている。東アジア諸国に関する彼による書物は至る所に存在し、あなたも気付かぬうちにどこかで読んでいるに違いない。

文学の分野におけるたゆみない努力は、後に数々の受賞によって世間に広く知られるところとなった。1993年には日本政府より勲二等旭日重光賞を受賞し、2002年には文化功労者に選ばれた。同年、「明治天皇」(角地幸男訳 新潮社刊)で毎日出版文化賞を受賞し、2003年にはペン・アメリカンセンターが主催するマンハイム・メダル翻訳賞を受賞した。

1922年6月6日、ニューヨークに生まれたキーン教授は、1942年にコロンビア大学を卒業した。西洋以外の文明に興味を抱く学生などいなかった時代に、キーン教授の日本に対する興味は既に始まっていたのだ。「学生の頃、歴史の勉強と言えば、それは西洋の歴史のみを意味しました。今の子供達は西洋以外の文化についても学びます。文化は西洋のみを指すのではありません。大変喜ばしいことです。」

彼は人生のかなり早い段階において、ある一つの言語を学ぶことはその言語を話す人々の文化を理解するのに極めて重要であると認識していた。1931年のフランスへの小旅行は、彼の好奇心に火をつけた。キーン教授は当時のことを語ってくれた。

「9歳の時、父がヨーロッパへ連れていってくれました。帰国後、フランス語の家庭教師を頼んで勉強をしたいと父に頼みました。残念ながら、当時フランス語の家庭教師を雇うということは経済的に困難な状況でした。実際にフランス語を習い始めたのは中学に上がった12歳の時のことでした。」

1942年に19歳でコロンビア大学を卒業したキーン教授は、その後海軍に入隊した。

「大学では中国語を学んでいましたが、海軍に入隊後、カリフォルニア州にある海軍日本語学校で日本語を勉強しました。日本語学校での日本人との交流は、私にとって大変楽しいものでした。1945年に戦争が終結し中国での任務が終了して、帰国の途に着く飛行機がちょうど日本に停まるというので、そこで1週間滞在しました。戦後、日本語を辞めた翻訳者や通訳者が多かったのですが、私はますます好きになっていきました。」

日本語学者への道を進みたいと考えたキーン教授は、その後コロンビア大学に戻り、修士号と博士号を取得する。ケンブリッジ大学で日本語講師を務めた後、1953年に京都へ赴き、2年間滞在した。その間、「日本文学の歴史」(同)の第一巻の編纂に取り組んだ。

言語と文化の二つの学問には切り離すことのできない複雑な結びつきがあると、キーン教授は言う。

「言葉は、文化と習慣を反映しています。日本語を習得しようとする時、日本語がいかに様々な段階の敬語表現がある特別な言語であるか、驚くことでしょう。中間的な段階の敬語表現はほとんど見当たりません。日本語を話す時、常に相手の社会的立場を念頭に入れて、お互いの立場を明確にするような会話がなされなければなりません。だからこそ、日本語には曖昧な表現が存在します。日本人は輪郭のぼやけた表現を好みます。」

1955年にコロンビア大学教授に就任後も、毎年休暇になると来日し、研究や執筆活動をして日本で過ごしてきた。彼は現在、同大学で一ヶ月間の短期講座を受け持っているが、年のほとんどの時間を東京で過ごしている。

「ある意味においては、私は日本人のような存在なのかも知れません。しかしそれは、私があらゆる漢字や言葉を知っているということではありません。日本語は一つの言語ではないのです。方言は、まるで別の言語のようです。日本にはたくさんの素晴らしい方言があります。鹿児島や青森、大阪や京都の人達は自在に方言を操りますが、私達がそれらの方言を習得しようとする時、それはまったく他の外国語を習得するのとあまり変わりがない程です。時として、何か特別な衣装を身に着けると、その特定の言語が話しやすくなるということがあります。1950年代に私は狂言を研究し、当時の子役達が伝統的な狂言の衣装に身を包んだ瞬間、17世紀当時の日本語を話すのをこの目で見ました。いつもの子供同士の話し言葉から変化したのです。」

現在の日本の子供達が、親の世代よりも日本の伝統文化についての知識が減っていることを教授は嘆く。

「この傾向は世界的に共通ではありますが、特に日本において事態は深刻です。英語教育に重点を置きすぎてしまうと、必然的に子供達の日本語力は失われていくことでしょう。これは避けられません。子供達には、母国語と自分達の文化に基づいた強い土台が必要です。しかし悲しいことに現実には、日本の歴史や哲学、文学などへの正しい理解を促すとは逆の方向に進んで行ってしまっているようです。日本人は、もっと自国の文化や歴史に誇りを持つべきです。」

キーン教授は、日本の文化について広く世界に知って欲しいと考えている。なぜなら、日本の文化に触れることによって、世界全体の人々の生活がより豊かになると考えているからだ。

「日本人は自分達の文化がいかに素晴らしく魅力的であるか、早く気付くべきです。しかし、日本の文化が他国の文化とあまりにも異なることを意識するあまり、外国の人に受け入れてもらえないのではないかと心配ばかりが先に立っているようです。しかしながら、多くの外国人は日本の文化を理解し、受け入れているのです。」彼は力強く語る。

「日本人は大変素晴らしいのですが、自分を宣伝することあるいは自己表現することがあまり得意ではないようです。日本政府は、もっとフランスを見習うべきです。彼らは自分や自国を宣伝することには長けていますから。世界中の人々がフランス文化を愛して止まないのは、フランス政府が巨額の費用を文化交流に費やしているからでもあるのです。」

キーン教授は、日本の子供達が漫画ばかりではなく井原西鶴なども読んでほしいと願うが、若者の未来はそれ程見通しの暗いものばかりでもないであろうと、希望を抱く。

「文学を好きな人は、あえて勧められなくとも自然と書物を手にするものです。しかし、可能な限り、なるべく多くのことを吸収し行動すると良いでしょう。年を取ると、覚えが悪くなりがちですから。」

Story by Judit Kawaguchi
From J SELECT Magazine, March 2005掲載
[訳:青木真由子]