ヒロミックス

アートの世界では、時として、想像を超えることが起きることがある。それは、とても新しく、今までの殻を破り、革命をもたらす。『ガール・フォトグラファー(ガーリー・フォト)』と呼ばれるヒロミックスが90年代にアートの世界に飛び出してきた時、彼女の気取らず自然体でドキュメンタリー・スタイルのスナップ・ショットは、色香とシンプルさをたたえ、瞬く間に多くの日本人を魅了した。ヒロミックスのファンは幅広く、彼女を模倣しようとする若い女の子たちや、日頃、飽き飽きとしたメディアが彼女を賞賛し、ファッション界までもがティーンエイジャーの奇才に注目した。

ヒロミックスの作品によって、スナップ・ショットのジャンルが正当化されたことは、良く知られているところである。彼女は、日記をつけるように日常にある日々の出来事を、写真を通して綴っていく。32歳となった今、彼女は、自らの殻を破り続けている。ヒロミックスの写真は、8冊の写真集(いずれも大好評を得た)や数多くの世界に名を馳せる雑誌(i-D、Numero、Purple、Visionaire、Dazed and Confused、The Face、Esquire)に掲載された。特に、Esquire誌では、『世界のベスト50人』に選ばれた。

作詞を手掛け、バンド活動をし、ミュージックビデオやコマーシャルの監督を務めるなど、ヒロミックスの活動は写真のみにとどまらない。映画『Lost in Translation』では、本人役で出演し、ファッション界のトップとも言えるイヴ・サン=ローランのモデルを務めた。彼女の才能は境界知らずだ。そして、日本は彼女の才能に狂喜した。

若い女の子たちは、ヒロミックスを崇拝し、『私にも出来るかも知れない』という考えのもとに、インスタントカメラで日記調に写真を撮るまねっ子たちがたくさん現れた。ヒロミックスの作品の持つ親しみやすさは、多くの人々を刺激させる一方で、見る者に同時代的なものを感じさせ、誠実さの中に不思議なことに慰めとなる要素がある。

彼女の自由で個性的な写真は、人が触れることのないリアリズムを表現している。メディアに出ることに対してシャイなヒロミックスは、作品について次のように語った。「もちろん、作品においていつも誠実であり正直であるつもりです。それが当たり前のことなので、何と言ったら良いか言葉が出ません。それと同時に、誠実であり正直であることについて、あまり意識することはありません。最近、人々は、いつも正直な訳ではなく、自分ではない誰かを演じて生きていることもあることを知りました。特に、都市に住んでいる人々です。私の願いの一つとして、『人類みんなが正直に生きてくれること』があります」

「基本的に、私が撮るセルフポートレイトは、『自己の内面を見つめること』、そして、『世界の美を見つめること』です。写真を撮り始めた頃は、ただ『楽しいこと』、そして、『十代の憂鬱』について撮っていました。でも、中判カメラを使い始めてからは、私の作品は『静か』なものとなり、どこか哀愁を帯びたものとなってきているようです」

ヒロミックスの写真家としての日本での成功は、前例のないものであった。女子高生であった17歳で応募した第11回写真新世紀展でグランプリを受賞し、彼女の作品は、写真界の重鎮である荒木経惟氏に見初められたのだ。キャノン主催の写真新世紀展で、ヒロミックスは手製の36ページに渡る写真集『Seventeen Girl Days』を出品した。この写真集は、彼女の日常を心のおもむくままに、あまり考え過ぎず、立ち止まることなく、インスタントカメラで撮影されている。ヒロミックスが高校を卒業する頃には、もうすでにプロの写真家としてのキャリアがスタートしていた。数多くのクライアントを抱え、特に、音楽誌『rockin’on』では、Beastie BoysやSean Lennon、Marilyn Mansonの撮影を手掛けた。

「子供の頃から絵を描くのが好きでした」ヒロミックスは幼い頃の思い出を語る。「10歳位から色々な形で自己の内面を表現し始めました。油絵、漫画などを試し、他には、家で見つけたコンパクトカメラで2、3本だけ写真を撮りました」

「その後、中学、高校と写真部に入りました。モノクロ写真で、自分でプリントしました。でも、特に写真家を目指していた訳ではないし、確か14歳の時は、写真家という職業が存在することすら知らなかったと思います。だから、18歳で受賞した時には本当に驚きました」

1996年、ナチュラルなスタイルの作品で定評のある写真家ホンマタカシ氏が見守る中、ヒロミックスは初の写真集『HIROMIX girls blue』を出版した。

彼女の物憂げな顔が表紙を美しく飾り、バックカバーにはトップレスの彼女のセルフポートレイトが映し出されている。レンズの前で、そして、レンズを通して、彼女のアイデンティティーを表現しようとするかのようだ。彼女のコケティッシュでセクシーなたたずまいと彼女の自然発生的な視点は、メディアを熱狂させ、雑誌『Studio Voice』が30ページもの特集を組んだ程であった。ヒロミックスの初写真集は、数多く売れ、今では、絶版となっている。

彼女の成功には、彼女自身も驚いている。「仕事を始めて、忙し過ぎるのとすべてが突然過ぎて、しばらくの間は自分の身に何が起きているのか、状況が受け入れられずに理解出来ませんでした。それでも、仕事は最善を尽くす努力をしていましたが、いつもどこかに逃げたいと思っていました。最近やっと状況を理解して、永久的に仕事を続けていくことを受け入れました」

そして、継続した努力は大きな実となったのである。2000年、ロッキング・オンよりミュージシャンのポートレートを集めた5年越しのアンソロジー・ブックを出版した。そして、その作品が認められ、第26回木村伊兵衛賞を受賞した。高校時代から自分の内面を見つめ続け、畏敬の念を起こさせるキャリアを切り開いてきたことが証明されたのである。

ヒロミックスが写真集『Seventeen Girl Days』でも使用した安価なコダックのビッグ・ミニは、一大センセーションを巻き起こした。彼女は、そのことについて次のように語った。「17歳でしたし、他のカメラより安かったので、買いやすかったです。あとで、性能もすごく良いことがわかりました。後になって考えると、これは運命のようだったと思います。師匠の荒木さんも使っていることがわかりました」

しかしながら、写真の歴史を振り返ると、ヒロミックスが巻き起こした現象は新しい現象と言えないかも知れない。カメラが歴史に登場した1800年代には、写真に対する洗練された深遠な知識は必要がなかった。そして、高価なカメラ道具がもてはやされるようになり、何人もの主婦が日常の出来事をスナップ写真に収めるような時代になっていった。

60年代には、コダックのインスタントカメラは、女性をターゲットに売られるようになった。しかし、ヒロミックスの日記調のスナップ写真を撮るスタイルは、新しい動きと捉えられている。それは、日本では男性が大勢を占める写真界において、彼女が女性写真家であり、その功績は偉大であり、長島有里枝や蜷川実花らと同様に女性写真家としての扉を開いたからである。

ヒロミックスに、新しい写真の形態を作られたと言われることに対してどのように思うか尋ねてみた。「本当に何も考えていなかったので、こんなことになるとは思っていませんでした。すべては流れに身を任せただけですが、良いことだと思います。新しいことはいつも世の中を混乱させますし、世界はいまだに古い形式、古い考えのままです。でも、理解して下さる方もたくさん存在するので嬉しいです」

「客観的に、人々がメディアの世界で、十代で女性のアーティストを見つけるのは珍しいケースだったのだと思います。以前は、アーティストと呼ばれる人達は、ほとんどが中年の男性でした。もし、人々が、『少女は何を考えているのか』、それを知りたくても知る機会がありませんでした。でも、今は、それを知ることが出来る時代が来たのだと思います。私は、色々な世代が交流することは、大切なことだと思っています。でも、30年前にくらべたら、色々な世代間の交流は減った気がします。人々はいつも、『若い人は何を考えているのかわからない』と言いますが、若者が撮った写真を見て、彼らも若かった時の感覚を取り戻し、理解が得られるのではないかと思います。写真という媒体を通して、良い交流があれば良いと思います」

『JAPANESE BEAUTY』というヒロミックス二冊目の写真集では、ファッションモデルたちを撮影している。その写真の数々は、表層的でありながらも限りなく美を追求している。彼女は、ファッション写真の意味をエキゾチックでグラマラスな領域にまで昇華させ、一種の大衆性を作品に与えた。彼女のファッション写真の独自のスタイルは、Purple、ViceやNylonなどの雑誌に受け入れられ、コマーシャルや広告などにも幅広く彼女の美の意義が受け入れられた。

彼女がどのような人物に影響を受けたか尋ねた。「荒木さんとホンマタカシさんには、すごい影響を受けました。それから、60年代の音楽やファッションからも影響を受けました。とてもパワフルでエネルギッシュなので。レコードやCD、写真集、古着などを集めるのが大好きです。特に、この時代のレコードジャケットの写真や雑誌からはとても影響を受けました。この時代は、すごく良い写真が多いです。このテイストが本当に好きです」

「私が撮る写真と似た写真を見るのが大好きです。自然な日の光の中で撮られた写真です」ヒロミックスは、彼女が好きな写真を引き合いに出し、次のように語った。「なぜなら、人々が自分たちの生活をきちんと生きているのを見るのが好きだからです。写真の原点は、人にあると思うからです。でも、今、それとは反対のことを楽しんでいます。リタッチや構成的なものです。でも、それは、写真とは遠いところにあると感じています。新しいデジタル・ペインティングのスタイルにより近いものです」
写真を撮る以外にも、彼女は自分のポートレートを絵に描く。まるで、隣に住むどこにでもいる女の子のように、彼女の興味は尽きない。「編み物をしたり、料理をしたり、絵を描いたり、詩を書いたり、人間社会について考えたり、宇宙について考えたり、先祖の生活に思いを馳せ、敬意を示したり、人類や人間の個性はこれからどこに向かうのかを考えたりしています」

「様々なジャンルの音楽が大好きです。特に、60年代のR&Bや、ドゥーワップもお気に入りです。ヒップホップやジャズ、ボサノバや色々な国のフォーク・ミュージックも好きです。新しいレイヴ音楽もたくさん聞きました。私自身、時々DJもします。CDを作りましたが、結果には満足していません。最近では気分が変わって、静かな曲が聞きたいですね。もちろん、アメリカのヒットチャートも好きです」

一躍注目の的となったヒロミックスであるが、日常をシンプルにドキュメンタリータッチで描いていく彼女の挑戦は変わらない。写真に対するこの自然な欲望は今、作品の質とプロであることを求められている。しかし、彼女のアーティストとしてのビジョンと手法は、最初の頃からほとんど変わっていないように見受けられる。デジタルを避け、作品に可能な限り真実性を追求している。

「今でも私は、私の人生の風景を撮り続けています。後世に残るような作品、そして、ファンの方々が見たいと望んでいるような写真を撮りたいと思っています。名前が知られるようになって、私の状況はかなり変わりました。そして、気持ちは毎日移り変わっていきます。17歳の頃にくらべると、私の周りはセレブの人達が多いですけど、フォトジェニックで面白い人達を見つけて撮りたいという気持ちは変わっていません。以前にくらべて、様々な国籍の人達を撮るようになりました。東京にいながら、様々な国から来た面白い人達にたくさん出会えます。だから、彼らと一緒に出かけたりして写真を撮ることは素晴らしいことだと思います。海外に住みたいとも思いますが、まだどこに行ったら良いのか決めていません」

「本物(リアル)の人達を撮るのが好きです。良い人を見つけても、大きなエージェンシーと契約している人が多いというのは、よく言われていることです。それも本当ではありますが、最近は以前にくらべてファッショナブルな人達が増えてきました。以前、ショービジネスの人達を撮ったことがありますが、微妙に違うなと感じたのです。彼らはもちろん素晴らしいですが、やはり、ストリート・スタイルが私は好きなのだなと気付きました。時には、パーティーやクラブに出かけたり、家でゆっくり過ごしたり、色々な気分の時があります。その気分や気持ちは毎日変化します。だから、様々な瞬間を写真に撮ります」

ヒロミックスは、アーティストに特有の意に満たない感情を抱いているという。しかし、彼女の創作の道はこれからも続いていくことだろう。彼女はあいまいながらも、「いくつかのプロジェクトが進行中です」と打ち明けてくれた。彼女の美しくもシンプルな視点で日本のアート界の根底を揺るがしてから15年が過ぎる。人気がゆえに、影響力大の彼女の次なる動きを我々は期待を持って待ちたい。

Story by Manami Okazaki
J SELECT Magazine, October 2008 掲載
【訳: 青木真由子】