ミス・ユニバース・ジャパン2008年代表 美馬寛子

ミス・ユニバース・ジャパンと聞いて彷彿とさせるのが、非常に美しく、完璧で洗練された創造物が、ギリシャ・ローマ風の泉があり、銀の大皿に盛られた甘いお菓子をほおばるような華美なロココ調の舞台にたたずむ姿である。

しかし、IBG Japanのオフィスは、表参道にあるシンプルなたたずまいの5階にあった。オフィスの内装は、まだ工事中であった。奥の部屋からは楽しそうな会話が聞こえ、その部屋から最初に出てきて笑顔で迎えてくれた人物こそ紛れもない美馬寛子であった。

その女神は、輝くばかりの光を放っていた。ゆっくりと私に向かって歩いてきた彼女の存在は、内装工事で騒然とした室内をまったく忘れさせる程であった。美馬は身長が173cmあり、背が高い。身に着けていた白いホルターネックのカットソーは、褐色に日に焼けた胸元を一層際立たせていた。きらきらと光るアイシャドーが、彼女の目元をエキゾチックに演出していた。そして、美馬は私に優しく微笑んでくれた。彼女は、本当にゴージャスだ。美馬の笑顔と温かく誠実な人柄は、美の女王の予期しない一面をのぞかせていた。初めて会った時、握手するのではなく、彼女を抱きしめたくなった程であった。

美馬寛子と会って話をすると、美のコンテストの候補者が、自己中心的なお姫様で、陰で意地の悪い噂話をしているという、今まで思われてきた悪いイメージは消え去る。ミス・ユニバースのコンテストには次のようなスローガンがある。『私たち宇宙の若い女性は、世界中の人々が相互の理解を深め、寛大であり、平和を追求することを信じています。どんな場所であろうとも、最大限の努力を払って、このメッセージを世の中に広めることを誓います。』美は豊富にある。そして、今日の美のコンテストでは、美の中に存在するポジティブなメッセージを広めることに、心の底から関心を寄せる者が優勝する。

美馬は、ミス・ユニバースのコンテストの最中に友情が広がったと話す。「ルームメイトが、ミス・エルサルバドルでした。私は、彼女と出会ったことを一生忘れないでしょう。彼女は、私の下手で身振り手振りを交えた英語を根気よく聞いてくれました。最初から彼女は、良い友人として接してくれました」目にたまった涙が一筋頬を伝わらせながら、美馬は当時を語ってくれた。「ミス・エルサルバドルが、ミス・好感度に選ばれたのは当然なことです」美馬によると、ミス・ユニバースの主催者ですら、コンテストの参加者に競争心むき出しな者は一人もいないと語った。

ミス・ユニバースの最終選考はベトナムのニャトランで行われ、世界中にテレビ放送された。最終選考に残った候補者にとって、それは、衣装変えから写真撮影、移動など一ヶ月に及ぶ嵐のような忙しさの日々となった。「一番思い出に残っていることは、他の候補者の女の子たちと出会ったことです。様々な文化の違いについて、大変多くを学びました。女の子たちの多くは一緒にお祈りを捧げ、そのうちの一人は聖書からの一節を毎晩読み上げていました。他の国では日本と比べ、宗教が大きな位置を占めているのですね」美馬は話す。

過去のミス・ユニバース・ジャパンの優勝者であり、四ヶ国語を話す知花くららや、カナダに留学し、英語を流暢に話す森理世と違い、美馬寛子は海外に行った経験がなく英語をまったく話せなかった。「コンテストの間、イネス・リグロンが指示を出すのですが、すべて英語だったため、ただ周りを見ながら合わせるしかありませんでした」美馬には、ダンスやモデルの経験もない。彼女は自らがダークホースであることを理解していた。彼女の新鮮な経歴が審査員の心を打ったのだ。「正直であり誠実であることが、審査員の方たちに伝わったのだと思います。モデルの経験はありませんが、陸上でインターハイや国体に参加してきたので、競争が厳しい状況においてもプレッシャーには強いのです」

美馬は、走り高跳びの選手として中学・高校時代をメイクとは無縁の世界で過ごしてきた。男性を崇拝するのでなく、多くの女友達は彼女にこう言ったそうである。「もし、寛子が男の子だったら、彼氏にしたい」美馬は笑いながら語る。「私は、男性らしくはなかったと思いますが、ボーイッシュだったなとは思います」彼女はスポーツに没頭した。うわさ話やゴシップに巻き込まれることなく、ただ何かが起こるのを待つのではなく、心を開き、ひたすら前進し続けた。「決して、ファッションやビューティーに興味がなかった訳ではありません。ただ、遠い世界のことのように感じていました」四国の離島の小さな町出身の美馬は語る。

実際、美馬は、美のコンテストの候補者から最も遠い存在に見えるかも知れない。しかし、悲惨な事故が起きたことが、彼女がコンテストに応募することを後押しした。「三年前、父を交通事故で亡くしました。そして、気付いたのです。人生とはなんと短いかということを。今、チャンスを活かして夢を追いかけなければ、次の機会はやってこないかも知れないのです」ちょうどその頃、美馬はテレビで森理世がミス・ユニバースで優勝するのを目にする。そして、美馬は思った。「彼女は私と同じ年で、とても素晴らしい貴重な経験をしています。私も、世界中を旅して、様々な人達に会いたいと思いました」だからこそ、彼女は、オーディションを受けて、ただのモデルになるという考えはなかった。もし、チャンスをものに出来るのであれば、それは、ファッション撮影ではなかった。美馬は、世界で活躍する機会を得たかったのである。

日本人好みの日本の美から遠い存在にあると、美馬自身、自覚している。「日本人好みの美を持つ人というのは、白い肌を持ち、笑顔が可愛く、強い意見を表に出しません。私は日本人好みの美とは違っていたので、ミス・ユニバース・ジャパンの選考会ではうまく出来たとは思っていませんでした。私は、自分の意見をはっきり言います。でも、日本人同士の関係では、はっきり意見を言うと摩擦を起こす場合があります。だから、私の中にも、はっきり意見を言うことにためらいがありました。ミス・ユニバース選考会の準備は、目からうろこの体験でした。イネスが、自分の正直な気持ちを表して良いのだということを教えてくれたのです」実際、ミス・ユニバースにおいて最終選考に残る候補者というのは、国内のコンテストで選ばれる候補者とは違う人であることを美馬も認めている。「ミス・ユニバースは、国際舞台で活躍出来る人を選ぶことに重きを置いています。審査員の方たちは、個性と自立心を持った女性を探しているのだと思います」

自分の意見をはっきり述べることと自信を持っていることは、国際的美人コンテストの選考段階において審査員が評価するところである。そして、これらの特徴は、日本人女性としてあまり肯定的に捉えられてこなかったので、日本は、1959年に児島明子がミス・ユニバースに輝いて以降、あまり良い成績に恵まれなかった。イネス・リグロンが成し遂げたことは、日本人女性の誠実さや愛らしさはそのままに、度胸があって、自己主張出来る女性を生み出すことであった。一人の人物に相反する特徴を合わせ持つことは、かえってその人物の素晴らしさを際立たせ、日本人のミス・ユニバース候補者は、最近ではセミファイナル以上まで残るという好成績を残している。

ミス・ユニバース・ジャパン2008年代表に選ばれた美馬のミス・ユニバースへのトレーニングは、受賞後直ちに、ナショナルディレクターであるカリスマのイネス・リグロンとの共同生活で始まった。「イネスとの共同生活の中で、最も思い出深い出来事は、彼女にお皿を洗う姿があまり魅力的でないと指摘されたことです」美馬は笑いながら話す。ミス・ユニバースの選考は、一か月の長期戦だ。イネスと生活することで、今までにはなかったエレガンスさを兼ね備えた人物に変えてくれたと、美馬は語る。「イネス以外の先生やコーチの方々は、ミス・ユニバースの候補者が何をするべきかを言葉だけで語り、結果を期待します。でも、イネスは、率先して態度で例を示して下さったので、とてもわかりやすく、自然に理解することが出来ました。夕食を家で取る時も、イネスはロウソクに火を灯し、貴重な体験へと導いて下さいました」リグロンが指導者として素晴らしいのは、候補者の女の子たちに自信を持たせ、自分を信じることの大切さを教えてくれたことであった。「話しなさい、寛子、話しなさい」美馬は、リグロンが繰り返し説いたのを思い出す。リグロンはさらに、「自分の気持ちを心の底から正直に話すことが、あなたの魅力につながります。人々は、それによって、あなたを尊敬することでしょう」と話してくれた。

美馬にとって、日本人の代表として自己を表現することには、様々な葛藤があったようだ。「私には、日本人の心が備わっています」美馬が意味することは、彼女には細やかな心遣いが備わっているということだ。「例えば、衣装を試着した後、私は、次の人が気持ち良く衣装を着られるように、ハンガーにきちんと衣装をかけます。いつでも、出来る限り他の人に対して、役に立って支えになりたいと思っています。日本人女性として、それは、社会に役立つ人であり続けることであり、誇りに思っていることです」

美馬は、来年の春、日本大学文理学部体育学科を卒業予定である。彼女は、子供たちにスポーツを教えることに興味を持っているが、ミス・ユニバース・ジャパンとして、彼女には様々なことを体験する扉が開かれている。「外国のファッションデザイナーのために、水着での撮影をしました。それから、ラジオ番組にゲスト出演しました。とても楽しい経験でした。今、挑戦したいこと、体験したいことがたくさんあります」

美馬の役割として、日本の若い女性の良きお手本として活躍することが求められている。表面的には、彼女はすべてを得たように見えるが、美馬は普通の女の子でもある。「私は、自分が美しいだなんて思わずに育ってきました。美しい女の子たちというのは、小さくて可愛い女の子たちで、私はとても背が高かったのです。小さい女の子たちは、可愛い洋服を着られました。走り高跳びの選手としても、モデルとしても、太っているといつも思ってきました。どのような姿形をしていようとも、誰しも完璧な人などいません。一方で、誰しも、自分が思っている程には、欠点ばかりな人などいないのです」美馬は、真面目に語った。「私は、高校時代に背骨を怪我し、愛する父を亡くしました。だから、いつも前向きであること、悲しみに打ちひしがれた後も、そこから立ち直ることを学びました。私は、このメッセージを日本中の人たち、そして、世界中の人たちに伝えていきたいです」信念を持って語る彼女を見ると、一瞬、彼女が目を見張る程ゴージャスであることを忘れる。美馬は、美しい心を持った真の美の女王なのだ。

Story by Carol Hui
J SELECT Magazine, December 2008 掲載
【訳: 青木真由子】