ニコライ・バーグマン~壮麗な美を生みだす花の魔術師~

デンマーク出身のニコライ・バーグマンは、コンテンポラリー・フラワー・デザインの分野で日本でも有名である。実際、有名というだけでは、言葉が足りなそうだ。彼は、フラワー・デザイナーとして広く知られ、独特のセンスに溢れている。輝かしい国内外でのプロジェクトや展覧会などで、数々のクライアントとコラボレートしてきた。世界的にも有名なホテルや宝飾店、デザイナーやデザイン会社やセレブな人々と数多くの仕事をこなしてきた。これらのことは、コペンハーゲン生まれのニコライ・バーグマンを、日本でセレブの地位にまで高めた。
ニコライ・バーグマンは、ほんの10年ほどで、日本で最も影響力のある外国人フローラル・アーティストとなった。和と洋の理念を独自のセンスで融合した。それは、色彩、形、バランス、細部、そして、シックな現代性の融合でもあった。それは、バーグマンの仕事のやり方と同じと言える。33歳のデザイナーと彼の革新的な会社は、常に新しい分野へ挑戦し、前進してきた。
40名のスタッフを抱えるバーグマンであるが(4年前の7名から大幅な増員である)、常に現場に出て細かく指示を出し、クライアントと緊密に連携して、クライアントの期待以上のものを作り出そうと常にベストを尽くし、挑戦を続けている。「The World of Nicolai Bergmann at Shangri-La Hotel, Tokyo」展が、東京有数の豪華ホテル、シャングリ・ラ ホテル 東京で10月に開催され、そこで、ニコライ・バーグマンとのインタビューが実現した。
「最近では、あらゆるアーティストがひとつのスタイルを追い求めようとしますが、すぐに飽きられてしまう傾向があるように思います。私は、様々なものに目を向けようと試みています」バーグマンは語る。
「コンテンポラリーなものを作るのが好きですね。例えば、千本の青々とした茎を使って、その頂点に一輪の花を生けたり、豪華なウエディング用のデザインをプロデュースしたりします。どちらかというと、抑えた色合いを使います。日本語で『渋い』(簡素で、微かで、控えめな)という言葉がありますが、まさに言い得て妙です。でも、ウエディングでは、鮮やかなピンクや白を使うのも好きです。仕事をするたびに、お客様が望む以上のものを提供しようと考えます。期待以上のものを提供することで、お客様が予期しない驚きを覚えてくれる。私にとってそれは、花の美を作り出すことにおいて、一番大切な挑戦であったりします」
ニコライ・バーグマン・フラワーズ&デザインは急成長を遂げ、今ではイベントやウエディングの花のスタイリングにとどまらず、ニコライ・バーグマン・インターナショナル・スクール・オブ・フロリストリーを青山に開設し、4つの店舗を展開している。その一つとして、インテリアデザイン&ライフスタイルを扱うお店として、「Nicolai Bergmann Sumu」を東京ミッドタウンのガレリアにオープンさせた。デンマークスタイルのインテリアやライフスタイル製品を幅広く提供している。
自然な流れとして、バーグマンの店や学校、展覧会には多くの女性が集まる。何百人ものファンが押し寄せ、フラワーアレンジメントとデザインに対するバーグマンの熱意と新しく巧みな追求心が、多くの女性を夢中にさせる。女性ファンの中には、彼の人柄の虜となってしまう人も多い。彼の親しみある笑顔と温かい心、オーダーメイドのスーツにかっこいいルックスは、多くの女性を夢中にさせてしまうと言っても何ら不思議ではない。物柔らかなバーグマンは、このことを冷静に受け止めているが、男性のファンがどう考えているかも興味があるようだ。 「女性のファンが私の学校に入会し、度を過ぎた行動を取ったこともありました。でも、彼女たちには少し控え目な行動を取ることを求めます。結局は、彼女たちが大切なお客様であることを忘れてはならないと思っています。だから、お世辞上手にもなってしまいますね。少し思慮のない行動を取る人も何人かいました。そういう時は、少し厳しい態度を取らざるを得ないですね」
「この仕事をしていて良いことは、スポットライトを浴び、お褒めの言葉を頂けることです。でも、本当に楽しいのは、若い女性や年配の女性、それに男性の方からいろいろな意見や反響を得ることができることです。私の学校に参加するよう男性のお客さんに勧めるのも、とてもうれしいことです。学ぶ過程こそが大切であると思います。私の授業に参加することによって、私が花を通じて成すこと、そして、私という人間がどういう者なのか、深い見識を得ることができると自負しています」
「花に関することは、何か女の子がするものだという認識があり、何も生み出すことができないと多くの男性が感じているように思います。でも、とても驚いたのは、男性の生徒が私のレッスンに参加し、とても楽しい時間を過ごして帰って行くのです。そして、再びレッスンに戻ってきます。私が展覧会を開くと、男性からもお褒めの言葉を頂くことがあります。率直なご意見を下さるので、私にとって、それはとてもありがたいことです。男性のお客さんが、私のお客さんの
1%だとしても、彼らの意見はとても貴重なものです。なぜなら、彼らには何の先入観も隠された意図もないからです。もし、彼らが私の作品に感銘を覚えたり、心を動かされたりするようなことがあれば、それは、私にとって、大変な刺激となります。もちろん、女性からの好意的な意見や反響もうれしいものです。でも、男性の意見にはとても勇気づけられます。彼らの意見には、心から耳を傾けています」
バーグマンの作品は、一見、たやすく作られたように見えるかも知れない。シャングリ・ラ ホテル 東京での展覧会は、うっとりとさせる魅力に溢れていた。モダンさとおしゃれな要素が程よく調和され、華やかであり、全体的に柔らかな印象を与える。なめらかな曲線と細部に渡るまで気品に溢れる作品は、和と洋の伝統にヒントを得ている。バーグマンは、抑えた色合いを好んで使う。オリーブ色、アンズ色、赤銅色、赤褐色、ハシバミ色、暗赤紫色、アマランス色、そして、鮮やかな白などを使い、暖かく魅惑的な雰囲気を作り出す。また、彼の作品からは、その人柄を感じ取ることができる。上品であると同時に複雑で、バーグマンの個性が感じられると同時に高級感漂う作品に仕上がっている。バーグマンの作品やデザインは、一見、簡単そうに見えるが、実は大いなる努力の結果である。準備に要する過程は、言葉では語り尽くせない違った物語を見せてくれる。
「私の仕事は、しばしばお客様の要望に照準が当てられますが、今回のように個展を開催する時には、私が今感じていることを作品に反映させます。準備には余念がありません。今回の個展では、準備を展覧会の会場で行うことができましたので、他の場所から会場へ作品を運ぶ手間や制約が省け、新鮮でした」
「達成したい目標のために、たくさんのスケッチをします。そうやって、様々なアイデアを集めてプランの骨組みを作っていきます。良い素材をあちらこちらから集めて、しばらくの間寝かせておきます。新鮮な花は、命が限られていますので、まずは、展覧会の
1ヶ月前あるいはそれ以前から、枯れ葉や枝を使って土台を作り、最後に新鮮な花を持ってきます。このプロセスは、私が編み出した作品の構造や形に対して、より深く考えることのできる大切なプロセスと言えます。花は最後に生けますが、どんな土台を作る時にでも、花がどのように生けられるかは、常に頭の中にあります。土台や花器の多くは、他の個展やイベントでも使用します。何年もこの作業を続けてきて、土台や花器の数は増えていっています。好きな土台や花器だけでも、その数は50を超えます。多くの土台や花器は、たくさんの日本のデザイナーとコラボレートした賜物で、とても大切なものです」
ニコライ・バーグマンを単にフラワー・アレンジをする人と称するのは、いささか適当ではない。花は、バーグマンのビジネスの根幹であり、グローバル・ブランドであるニコライ・バーグマン・フラワーズ&デザインの代名詞だ。しかし、バーグマン個人を見れば、彼は真の革新者なのだ。一見、手の届かないところにあるものでも、挑戦することを恐れない。例えば、腕時計をデザインしたフローラル・アーティストが世の中にどれほどいるだろうか。
「様々な分野の人たちから、コラボレートしたいというオファーを受けます。とてもうれしいことです。著名な日本漆のメーカーと一緒に仕事をしたこともあります。最近では、自分でガラスの花器を作り始めました。ちょうどガラス作りができる場所を見つけたのです。吹きガラスは私にとって、ファンタジックな夢の実現でもあります。実際に、個展で使用できるユニークな作品を作ることができますし、販売したりオークションに出品したりすることもできるかも知れません」バーグマンは、考えを巡らせながら語る。
「アートとデザインのことになると、私の考え方はとても進歩的です。本当の自分を見つけること、この一言に尽きます。日本で仕事を始めて10年になりますが、その間に、お客様のネットワークを作り上げてきました。私のデザインも進歩したと思います。でも、本当の自分のスタイルを見つけることができたのは、ここ5年くらいのことです。デンマーク人のデザイナーのために靴のデザインをしましたし、メガネメーカーのためにメガネのデザインを手掛けました。セイコーのために腕時計のデザインもしました。これらが実現したのは、私に色彩と形に対する感性があったからだと思います。『なぜ花のデザイナーが、靴やメガネを作るのか』、そう尋ねる人もいるかも知れません。でも、デザインはすべてつながっているのです。その基本は、色彩と形にあります。メガネメーカーからコラボレートのお話があった時、私自身、『フラワーアレンジメントのビジネスをしている私が、どのようにそれをメガネの分野で表現させようか』と思っていました。でも、私は自分の限界に挑戦し、ごくシンプルに、デザインはすなわち普遍的にデザインなのだということがわかったのです」
ニコライ・バーグマンは、自ら成功を手に入れた。しかし、それは決してたやすいものではなかった。彼は高校卒業後、進学しなかった。それは、学究的世界だけが成功の道へ導くのではなく、道は他にもあるのだということを、彼自身が体現している。子供の頃、彼は、近所の人たちに売るためにクリスマスのリースを作った。この頃、彼の生まれ故郷であるコペンハーゲンで、彼の最初の起業家精神に灯が点ったのかも知れない。着実な前進と挑戦に対する飽くなき追求心は、10年前に来日して以来、確実にその灯が前にも増して輝き続けている。
「今やっていることを将来も続けていくことに、私自身、確信を持っていますが、今まで達成できたことすべてを達成できるなんて想像もしていませんでした。この10年間で学んだことは、決して諦めないこと、挑戦は常に継続しているものだから、自分は、もっともっとできるのだと信じることです。時には、つらいこともあるでしょうが、必ず道は開けます。毎年少しずつでも進歩しているという事実と、新しいことが起こっているという事実、そして、新しい挑戦が目の前にあるのだという将来への展望が、私を勇気づけてきました」
大盛況に終わったバーグマンの個展が開催されたシャングリ・ラ ホテル 東京の27階の心地よいソファーに座り、素晴らしい外の景色を楽しみながら、ニコライ・バーグマンが誠実な人柄で、素晴らしい人生を送っていると改めてわかった。バーグマンと私は、車について語り合った。彼は、東京では駐車できないので、お気に入りのメルセデスG500(ジープのような車体をしている)を手放し、Audi G7を手に入れたところだと話した。週の半ばに休みを取り、奥さんとお子さんと一緒に愛車で街を飛び出すのだという。未知なる世界に興味があり、中東やインド、サンクトペテルブルクを訪れてみたいそうだ。未知なるものへの興味が、彼を日本へと導いたのかも知れない。
会話が進むと共に、スコッチウィスキーのシングルモルトを二つ頼み、シガーコレクションを見たいと頼もうと思った。しかし、数多くのファンがスターを一目見よう(あるいは、サインをもらおう)と辛抱強く待っている状況に気付き、彼の時間を一人占めしていることに気付いた。
古くからの友人のように我々は別れた。ニコライ・バーグマンは、とても紳士的であった。おしゃべりをしていても、彼は温かくて感じが良く、セレブ然としていなかった。彼はまた、とても話上手で会話は洗練されており、熱中しているものについて細部に渡るまで語った。彼の振舞いは、リラックスされた中にも自然と気品が漂っていた。彼自身が、彼のデザインそのものを具現化しているようだ。あるいは、その逆なのかも知れない。

Story by Jon Day
J SELECT Magazine, January 2010 掲載
【訳: 青木真由子】