ダンテ・カーヴァー~時の人~

ダンテ・カーヴァーが、自分の育ってきた道のり、ソフトバンクのコマーシャル、演じることについて語る。

「私は、間抜けな外国人を演出しているような仕事は、お断りしています。俳優として、型にはまるのが嫌なのです。自分の中でこのルールは、曲げたり変更したりしません」

日本に住んでいるのなら、ソフトバンクのコマーシャルを見たことがない者はいないであろう。犬が家長であり、眼鏡をかけた外国人が兄役で登場する風変わりな日本の一家を描いている、あのコマーシャルだ。

その外国人役こそが、俳優のダンテ・カーヴァーだ。8年連続して1位を獲得してきた木村拓哉を抜いて、2009年度のCM好感度調査第1位を獲得した。カーヴァーの人気は一部の人々には驚きかも知れないが、彼のマネージメント事務所でお会いした私には、彼が人気を博すのが当然だと思った。33歳の彼は、おしゃべりで、フレンドリーで、大らかで、成功に意欲を燃やしていた。

俳優とモデルとしてのキャリアを日本でスタートさせたカーヴァーは、B級映画のエキストラやポスターのモデルとして活躍したのち、コマーシャル出演を果たすようになり、現在は、BSフジのBeポンキッキにも出演している。最近では、映画『風が強く吹いている』、『感染列島』、『ダーリンは外国人』にも出演した。

演じることに対する興味は、幼少の頃からあった。「4歳の頃、セサミストリートのオーディションを受けて合格しました。でも、家族でヨーロッパに移ることになったので、その仕事を引き受けることは叶いませんでした。テレビや映画は、子供の頃から興味がありました」

母親が看護師で、父親が通訳兼翻訳家であったダンテ・カーヴァーは、両親の仕事のために世界中を転々とした。数年毎に引っ越さなければならなかったカーヴァーは、国際色豊かな学校で学び、世界を見る目を養った。このことから、日本に来ることに対するハードルは、彼にはほとんどなかった。

彼が最初に来日したのは、大学の友人に誘われたことがきっかけであった。来日して1ヶ月もしないうちに、彼は4つのエージェンシーから声をかけられた。滞在した18ヶ月の間、彼は数々のオーディションを受け、それからというもの、数々の広告やショー出演を果たしている。

しかし、外国人として日本で活動することは、思っていたよりも簡単ではなかったと語る。

「文化的な違いがあります。何かが持ち上がった時に、私はこの地で育った訳ではないので、わからない時があります。まだまだ学ぶことはたくさんあります。言葉に関しては、台本を読んで台詞を覚えたり、周りの人の話を聞いたりすることが、とても助けになっているようです」

「仕事はその内容によって、大変さが違います。『感染列島』は演じるのが難しかったです。監督は、なるべく自然体の演技を求めました。映画の最後の方で、人に向かって叫ぶシーンがあるのですが、それを自然に、普通に演じることを求められました」

「ただ、ロケーションは素晴らしかったです。撮影地がフィリピンだったのですが、すぐに気に入りました。マニラから飛行機で30分ほど南へ行ったところです。一番大変だった仕事は、今ちょうど撮り終えた映画の撮影です。スケジュールがタイトで、一日に3~4時間の睡眠の中、撮影が行われました。後になって、こたえましたね」

そして、俳優に合わせて役柄を決める映画界の風習もある。映画と広告が密接に絡み合っている現状から、商品や俳優を差し置いて、イメージばかりが先行してしまうことも多々ある。

「監督たちは、私の起用を躊躇していました。私のイメージが、ソフトバンクを連想させるからです。でも、私は俳優です。イメージが先行することが起こらないようにするのが、私の仕事です」

「以前、ある監督と仕事をしました。彼はとても良い人でしたが、彼に慣れるには時間が必要でした。彼は、ソフトバンクのコマーシャルについて、冗談まじりに話してくれましたが、それは、あまり好きにはなれませんでした。私は、現場にいる他の俳優のように、プロの俳優です。私が意見をし過ぎたせいか、シーンのいくつかはカットされましたが、私は精一杯演じるだけです」

仕事で困難なことがあっても、良い面もたくさんある。カーヴァーは、今年の8月、元ViViモデルの松本明子と結婚した。有名なセレブは、エージェンシー(芸能事務所)から優遇される。

2008年、カーヴァーは、Beポンキッキとソフトバンクのコラボレーション企画で、タイからカトマンズに入り、ヒマラヤ山脈のヤラピーク登頂に一ヶ月かけて成功した。

「この話には裏話があるのです。私は、富士山に登頂したいとの思いを3年間抱き続けながら、仕事の都合で果たせずにいました。今回も、上司たちから話があり、『悪いが、今年も富士山登頂はキャンセルしてもらわないといけなくなった。代わりに何ができる?』と聞かれました」

「私は、皮肉交じりに、『ヒマラヤに連れて行って』と言いました。一週間半後、彼らが私のところに来て言いました。『ダンテ、良いニュースだ。ヒマラヤに行くぞ』少しずつ、私にもチャンスが巡ってきているようです。感謝しています。間違ったことをしていないんだ!という気持ちにさせてくれます」

「昨日、ちょうど一つのプロジェクトが終わったところです。とても満足のいく仕事ができました。プロジェクトの名前は、『パンケーキ』というのですが、詳細についてはまだ語れません。男女の出会いを描いたラブストーリーなのですが、3人の際立った特徴を持つ登場人物が、どのように絡み合うのかが見所です。3人の絡み合いがどのように進んでいくのか、物事がどのように良くなっていくのか。程良い加減で、コメディの要素も入っています。ドラメディとでも言うのでしょうか」

日本で得られる仕事のチャンスに加えて、カーヴァーは、日本を故郷のように思っている。家族のようなマネージメント事務所、そして、脚本を共に書いている友人たちがいるからだ。

しかし、それらが、ホームシックを引き起こさない訳ではない。漫画の祭典を訪れるためにサンディエゴを訪れた際、その地を離れたくないと思ったそうだ。「祭典が開催されている興奮の渦の中に自分の身を置いていたかったのです。数週間あるいは1ヶ月は滞在したかったですね。その場からエネルギーをもらって、吸収したいのです。私はスポンジのような存在で、もっともっといろいろなことを学びたいのです」

演じること以外に、カーヴァーは、グラフィック小説、建築と風景に関する写真集、SFアクションゲームの制作中である。「ゲームの筋立てとデザインを今考えています。デザインが最も難しい部分ですね。ストーリーは自在に操れますが、どんなに優れたストーリーであったとしても、見た目が悪ければ何にもなりません。コンピューター・グラフィックとストーリーとの兼ね合いが鍵です」

「私はあえて忙しい状況に身を置くようにしています。常に自分のコンディションが良い状況であるように、努力を惜しみません。人生を楽しみたいのです。それは、金銭的なものとは関係のないことです。でも、周りの人はそれを理解しません。彼らは、『なぜそんなことをしているの?あなたは俳優なのに!』と言います。でも、いろいろな分野に情熱と興味を持っているのです」

カーヴァーは現在、日本以外にも海外での活躍の場を広げようと奮闘中である。ハリウッドのテレビ局で仕事をする夢も持っている。様々なジャンルの映画にも出演したいと思っている。

日本での成功について、カーヴァーは語る。「大切なのは、いつでも目と心を開いていることです。文化も演じるスタイルも異なります。日本のテレビドラマを見ていると、顔にカメラの焦点が当たることが多く、顔の表情でのみ演技をしていることが多いように感じます。一方で、海外ドラマでは、体全体を使って演技することに焦点が当てられています。その違いに順応することは大変なことです。しかし、常に前向きで、集中力を高めることです。周りの目は気にせず、自分自身に集中することです。そうでないと、燃え尽きてしまいます」

「自分のことを成功者だとは思いませんが、何かを成し遂げられた時、きっとみなさんの目に届くことでしょう」

取材・文: Manami Okazaki
写真: Daisuke Takahashi
【訳: 青木真由子】
From J SELECT Magazine, November 2010