DRESSCAMP 岩谷 俊和

デザイナーのカール・ラガーフェルドが初めてDRESSCAMPを見た時、「これが、日本人のデザイナーが手掛けたとは、信じられない」と語っている。実際、岩谷俊和がデザインする作品には、他の日本人のデザイナーが持つような、色合いが控え目でミニマルな要素は見受けられない。岩谷が手掛ける服には、目もくらむ程の鮮やかな色彩、小花柄のプリント、そして、セクシーでみだらなアニマルプリントを使用しており、一見するとヴェルサーチの親戚ではないかと間違った捉え方をしてしまうかも知れない。しかし、語り口の柔らかな34歳の岩谷俊和は、自分の原点には日本人の感性があると語っている。「プリント素材を使うのがとても好きなんです。美しいプリントのファブリックは、とても日本的なものであると思っています」

日本人デザイナーの中で、岩谷が最も尊敬する人物は、HANAE MORI(森英恵)だという。日本人で初めてパリのオートクチュールコレクションに作品を発表したからだ。岩谷は語る。「私は、山本耀司さんや川久保玲さんなどの、前衛的で当時のファッションモードの常識を覆したアンチ・ファッションの立場を取ったデザイナーではなく、森英恵さんのようなハイファッションで伝統的な感性を持ったデザイナーたちの信奉者であると信じています。でも、これら両者の要素が入ることで、ファッションはますます楽しくなってくると思います」

ファッションは明らかに岩谷を興奮させるものである。今年、パリで初めてのファッションショーとなる「2008春夏コレクション」に参加する。彼はいつも物腰が控え目であると同時に、物柔らかな美しい声で話す。彼を見ているとファッションデザイナー以外の何者でもないと感じさせられる。髪は短く刈り上げられ、左耳には真鍮のピアスをしている。服装はスタイリッシュにまとめられている。私が岩谷俊和にお会いした時、彼は、シンプルなジーンズに白いシャツを身に着け、リアルファーのベストに、膝の高さまであるフリンジが付いたスエードのブーツを履いていた。彼自身が、まるでDRESSCAMPを具現化しているようだ。大胆不敵で、とてもファッショナブルで、妙に男らしい。「DRESSCAMPのメンズでは、自分自身が身に着けたいと思うものをデザインしています」岩谷は、背が高く、肩幅が広い。

横浜で生まれ育った岩谷は、友人とバスケットをして遊ぶような少年だった。少年時代は、ファッションデザイナーになるなどと夢見ていた訳ではなかったが、幼い頃から独特の好みと嗜好を持っていたと彼は振り返る。高校を卒業すると、彼は、文化服装学院のアパレルデザインメンズコースで学んだ。1995年に文化服装学院を卒業すると、彼は、ただちにファッションデザイナーになった訳ではなかった。アト・ワンズというプリントテキスタイルの会社に入社した。2002年、アト・ワンズから、DRESSCAMPのデザイナーとしてデビューした。

「ファッションの学校を卒業したすべての人が、自分のブランドを持つ訳ではありません。でも、ファッションの学校を卒業した多くの人が、ファッション業界で働いています。自分のブランドや会社を立ち上げるには、相当のエネルギーと責任が必要です。私の場合は、いつも自分のブランドを立ち上げたいと思い、その目標を忘れることなく歩んできました。でも、アト・ワンズに入社した頃は、あらゆる仕事が自分を成長させ勉強することのできる良い機会であると感じていました。ファッションデザイナーになることをただ夢見ていただけではなく、目の前にある仕事を求められている以上に取り組み成し遂げることの方が、大切なことであったと思っています」

岩谷の不断の努力とユニークな経歴が、NHKの『トップランナー』という番組に出演させた。『トップランナー』では毎回、各方面で活躍する人物をスタジオに招き、その仕事と活躍振りを伝える、若者に人気の番組である。私は、岩谷俊和をインタビューする中で、ある二つの大切な要素に気が付いた。それは、彼の粘り強さとデザインワークの持続性だ。「挫折することを失敗だとは思いません」岩谷は語る。「いつも物事がスムーズに進むとは限りません。でも、くよくよ考えたり、後ろ向きになったりすることはありません。挫折は、より良くなっていくための大切な機会であると感じます。このように発想の転換を図れば、人生がよりおもしろくなっていくと思うのです」

2002年、文化服装学院を卒業して7年後、東京コレクション(「2003春夏コレクション」)でDRESSCAMPはデビューを果たした。DRESSCAMPの名前の由来だが、普段着でも女性にDRESSを着て欲しいという思いと、CAMPという大胆で奇抜で予測のつかない意味の言葉が組み合わさった。岩谷は、初めてのコレクションの興奮を決して忘れることはないと語る。「何が起こるか予期出来なかったので、ただ自分の感情のおもむくままに突っ走っていましたね。でも、コレクションごとに自分のブランドが成長していくのを見るのは、最上の喜びです」

初のコレクションから3年後の「2005春夏コレクション」で、DRESSCAMPはファッション界を震撼させ、多くの人々に感動を与えた。岩谷は、日本のファッションシーンの救世主として広く知られることとなった。有名人やセレブ、そして、口コミでDRESSCAMPを知ったファン達が、コレクション当日、『カウボーイ・インディアン、そして、マタハリ』コレクションを見るために、会場の周りに長い列をなした。同コレクションでは、インディアンのヘッドドレス、レザーのブーツ、ギンガム柄のスカート、エキゾチックなシースルーブラウス、華やかな花柄がプリントされたドレスなどの作品が発表された。

ファッション評論家であるドン小西氏は、東京コレクション(「2005春夏コレクション」)全体について、学芸会みたいなノリで、お祭り騒ぎをして、つくるものも発信力が弱いと酷評した。しかし、DRESSCAMPについては、輝いているデザイナーであると述べた。「大胆なプリント地と独創的な色づかいが、オリジナリティーにあふれている。どのデザイナーにも属さない。似ていない。他の誰にもできない」と、ドン小西は、ファッションに関するブログで述べている。

岩谷自身、ドン小西の批評に賛同している。今の東京のファッションシーンは内容的に軽くてつまらない。皮肉なことに、ドン小西の支持が岩谷俊和に注目を集めた。しかし、岩谷が想像していたのとは違った方向であった。「東京では、ファッションは大きなパーティーそのものです。有名人やセレブの注目を集めること以上に、ファッションの何が革新的で、傑出したものであるのか、それを伝えるのはとても難しくなっています」

岩谷は東京のファッションシーンを、パリのファッションシーンと比較してこう語った。「フランスでは、ファッションはとても真面目で真剣に捉えられています。ファッションジャーナリストの人達はとても知的で博識で、それぞれのブランドを客観的に評価します。世界中から集まったプロのバイヤー達が、どのブランドが売れて、どのブランドが売れないかを判断します。とても高度な競争世界ですが、パリで成功するということは、そのデザイナーが本物であることの証なのです。そして、私は、その競争の場で起こる興奮が好きです」

DRESSCAMPの原宿の事務所では、岩谷がパリコレの準備を他のスタッフと共に、組織的かつ計画的に行っている。彼は、感情的になりそうな時でも、それをうまく隠す。「ファッションはビジネスです。成功するには、実際的で論理的に物事を進めなければなりません。もし、デザイナーがファンタジーの世界を作りたいだけなのであれば、演劇かオペラをやった方が良いと思います」

しかし、岩谷は次のように認める。「ウィメンズのラインでは、ファンタジーの要素を加えることもあります。歴史上の人物にも心を奪われます。例えば、フランスのダンサーからスパイに転じたマタハリからは、官能的で奇想天外なイメージの女性像を作りだしました」

岩谷俊和の経歴を見ると、これまで世界中の様々なトップブランドとコラボレートしている。そのほとんどは、オートクチュールとはあまり縁がないブランドである。2004年、岩谷はスポーツウエアのトップブランドである「チャンピオン」とコラボレートし、コットンのジャージにブランドのトレードマークであるCの文字にクリスタルスタッズを打ち込んだものを発表した。その翌年、スイスの宝飾ブランド「ピアジェ」へデザインを提供する。2007年、「ティンバーランド」とコラボレートした靴とブーツを発表した。そして、今年、コスメティックブランド「M.A.C.」より、DRESSCAMPデザインのコラボレート商品を発表する。これらのファッション商品に加え、サングラスやテーブルウエア、ハンドバッグやブライダルガウンをデザインし、発表した。

「私のメインの興味やビジネスは服ですが、他の分野の商品を手掛けることは、とても楽しいことです」岩谷は語る。「いつでも、私の好きなブランドとコラボレートします。明確なアイデアを持って、企業を訪問します。ほとんどのブランドで商品化が実現されています」

岩谷にはしばしば企業からデザインのオファーが来るが、ほとんどの場合、それらを断ることが多い。彼には、デザインに関する自らの厳しい線引きがあるという。それは、岩谷の感性にも繋がる大切な部分だ。「良い商品が生まれないとわかっているのであれば、それをデザインしたいとは思いません」

DRESSCAMPは、13の国のセレクトショップで入手可能だ。ビジネスの拡大は、岩谷にとって、とてもわくわくすることであるという。「ファッションとは、現実性のあるものだと思うのです。小さなシルエットやフリルが優美なひだを作りながら箱から床に落ちていくのを見ると、ドレスの形やシャツの輪郭が頭に湧き起ってきます。そういう時、自分はファッションデザイナーなのだなと強く感じます。どこにでも、デザインのインスピレーションは転がっています」哀愁漂う中にも色彩の鮮やかさがあり、実用的な中にも躍動的で力強さを感じる。相反する性質のものが同時に存在する。それが、岩谷俊和を天才たらしめることではないであろうか。

Story by Carol Hui
J SELECT Magazine, February 2008 掲載
【訳: 青木真由子】