クレイグ・モド:デジタル時代の本の在り方を考える

クレイグ・モドがいかに入念に注意深く数々の作品を生み出しているかを鑑みると、彼についての記事を書くことは、ある種の挑戦である。美しいタイポグラフィー、プロレベルの写真、山で過ごした日々から生まれた洗練された散文などが掲載された彼のホームページは、その辺のブログからは一線を画している。フリーのデザイナーであり、デベロッパーであり、本の発行者であるクレイグは、最近携わったあるプロジェクトの成功により資金を集め、自らがデザインして共著となった本の再版にこぎつけた。さらに、iPad用のアプリケーションの構想を数多く持っている。クレイグの書き物やプロジェクトの数々を見ていくことは、本の形態の変化に対する深い洞察を生み出すだけでなく、急速に発展する出版界に対する洞察をも生み出す。

東洋と西洋の文化をつなぐ

クレイグは19歳の時に日本に留学し、大学を卒業後、日本語力を磨くためと日本の出版業界で働くため、東京に戻ってきた。彼はアジアのデザインの魅力について、次のように語っている。

「訪れる度に、香港のストリート・ファッションに魅了されていきました。日本のプロダクト・デザインが好きです。日本は、昔も今も、世界で最も優れたプロダクト・デザインを生み出している国だと思います。世界中で『無印良品』の商品が異常なまでに熱望されるのは、そこに理由があるからなのです」

「狭い住環境をうまく利用した日本の空間デザインも好きです。特に、その素材と明かりの使い方が好きです」

「陳腐でつまらないものが日本中に溢れているにも関わらず、大きな予算のプロジェクトでは、今も谷崎潤一郎の美しい影に対する精神が根付いていることを考えずにはいられません」彼は、大正時代の作家が著した『陰翳礼讃』について言及した。「コンテンポラリー・デザインの中で、畳や障子のより革新的な使い方に回帰していくところが見たいですね。畳も障子も好きな素材です」

彼の日本語力は上達し、定期的に日本の出版業界やメディアと仕事をするほど、文化間の架け橋となっている。「日本語のメールは、私なしでは対応できなくなっています」彼は日本語でも講演し、ウェブサイト上に日本語で論文を掲載している。

情報とデザインを融合する

多くの専門分野に渡るクレイグの知識は、彼のマルチな才能を作り出している。彼は、9歳でプログラミングを始め、10代前半には、数々の電子掲示板システムを運営し、多くの時間を電子掲示板のより良いデザインの作成に費やした。この頃、日本のアニメ『AKIRA』を見たことから、視覚芸術やアニメーションに対する関心が高まった。

「大学に進学する頃には、独学で多くの専門分野を学んでいました。大学では、デジタル・メディア・デザイン学を専攻しました。美術と情報科学が融合したような学科です。基本的には工学部ですが、いつも暗室のある美術学科の建物の地下で過ごしました」2つの分野を学ぶことを両立してきたのだ。それこそが、彼に相応しい場所であった。

彼のプロジェクトであるEverymoment NowとBuzztrackerは、デザインセンスとプログラミングのノウハウの見事な融合である。ネット上に蓄積されたニュースや情報を集め、それらのニュースや情報の事実はそのままに、洗練され視覚化されたパターンとして表現した。クレイグは、TPUTHの創設者でもある。TPUTHは、旧ソ連共産党中央委員会の機関紙のデザインをベースに、テクノロジーやデザインに関するニュースを集め、フィルタリングし、情報を提供するオンラインマガジンである。さらに、Hitotokiという、全世界からその人それぞれの「人生のひと時」を集めて抽出し、世界地図として表出したウェブサイトも立ち上げた。

多くのデザイナーやデベロッパーは一人で活動することが多い。しかし、クレイグの強みとして、彼にはデザインと情報科学、両方に対する深い洞察がある。

「革新的なことをするためには、なるべく多くの分野に渡る深い理解が必要です。革新とは、それぞれの分野の周辺で起こるからです。ウェブは、プログラミング、デザイン、ジャーナリズムの分野をより近くに寄り添わせました。もし、一つの分野に対する理解しかないとしたら、アイデアを、分野を超えて直観的に結びつけることはできなくなるでしょう」

メディア界の業務が、ライター、デザイナー、プログラマーというように細分化された今、メディア全体に対するクレイグの幅広く深い洞察力は、メディア界の未来に対する可能性をより大きなものにすることであろう。

本とその二次元性

メディア界でクレイグと同じように多分野に渡った能力を発揮し、尊敬する人物は誰か尋ねてみた。彼は、真っ先にマルコス・ウェスカンプの名を挙げた。マルコスは、FlipboardというiPad向けの「ソーシャルマガジン」の創業者の一人である。Flipboardでは、FacebookやTwitterから流れてくる情報を雑誌スタイルで確認できる。つまり、オンライン上の友達などが推薦する情報を集めて、ウェブマガジンのスタイルで再構成してくれるのだ。マルコス曰く、Flipboardは、メディア界がなぜこれほどまでにiPadの時流に飛び乗ってくるのかがわかる、一つの大きな事例として位置づけられる、という。

「Flipboardは、急速に広まるというよりも、初期起動のミスを見ながら、それらを立て直しつつ大衆的なものとして広く受け入られるようになりました。ユーザーの多くは、『iPadのアプリケーションとして、初めて感動したアプリケーションだ』と言って、地球環境に優しいメディアの一種として捉えるようになったのです」

昔からある伝統的メディアにも、新しい形態のメディアにも、両方に精通しているクレイグは、デザインと出版の権威として台頭した。特に、彼の論文である『Books in the age of the iPad』は、ニューヨークタイムズに高く評価され、「紙媒体からインタラクティブな形態へと移行する本に対して、思慮に富んだ、独特の視点を持っている」と褒め称えられた。論文の中でクレイグは、紙媒体を捨て去ることを「良い解放」だと述べ、「リゾート地の浜辺で読むようなベストセラーのペーパーバックへのさよなら」だと述べている。

「デジタルとは、捨て去られる紙媒体が生きていく場所だと考えます」と述べる一方で、「美しい紙媒体には、それらが生き残っていく特有の場所があると考えます」と言い切る。クレイグは、丹念に作られた美しい装丁の本は、紙であろうとデジタルであろうと深い尊敬の念を抱いている。時代は、紙からデジタルへの移行期にあるが、基本的な部分はずっと変わらずに残っていくと、クレイグは強く主張する。「良いタイポグラフィーは、いつになっても良いタイポグラフィーなのです」

長文と短文が意味するところ

近頃の流行として、短文のブログやさらに短文のツィートがウェブ上で良く見られるようになった。しかし、クレイグは、最近、長文の記事がより読まれるようになってきたのではないかと考えている。

「今まさに、長文の形態の再興を見ている気がします。iPhoneとInstapaperの組み合わせで、新聞や雑誌などの記事や論文などの長文の形態の文章がウェブサイト上に増えています。私はすでに1,000件の記事や論文を読みました。Twitterは、長文の文章を読むきっかけを与えた意味で、輝かしい存在であると思います」

クレイグは、自身が書いた長文の論文をウエブサイト上で公開する試みを始めた。目標は、一ヶ月に新たな論文を一つ掲載していくことだ。しばしば、彼は山に籠って文章を書く。

「私はいつも精神のバランスを大切にしています。あまり都市にばかりいると、精神のバランスを崩してしまいます。ウェブサイト上に掲載している論文は、最も満足している仕事の一部です」

彼の思慮に富んだ論文は読者を増やしており、Twitterのフォロワーも増やしている。Twitterでの存在感やデジタル分野で活躍するクレイグであるが、紙媒体での出版も果たしている。彼がデザインし共著となった『Art Spaces Tokyo』が版元により(初版が瞬く間に売り切れとなったにも関わらず)再版されなかった時、彼はオンライン上のネットワークに呼び掛け、再版にこぎつけた。

KickStarter.comという寄付金を募るウェブサービスを利用して、彼はこのプロジェクトのために、目標額の15,000ドルを優に超える23,790ドルを集めた。シルクスクリーンが施された表紙と日本人アーティスト高橋信雅によるイラストレーションが美しい一冊となったこの本は、「アートスペースを通して見る東京ガイド」となっており、クレイグの美しい本に対する情熱が表れている。

バランスを見つける

今日、従来の新聞や雑誌、出版社などが直面する挑戦とは、いかにデジタル時代に対応し、利益を得るかである。無料で得られる情報がオンライン上に溢れる今、勝者は、機能と形態、情報とデザインをバランス良く捉え、提示できる人に限られてくるであろう。このバランスについて学びたい者は、是非、クレイグ・モドと話してみると良い。

クレイグ・モドの作品は、craigmod.comで見ることができる。
彼の著書『Tokyo Art Spaces』は、artspacetokyo.comで購入できる。

Story by Rick Martin
From J SELECT Magazine, October 2010
[訳: 青木真由子]