地球の視点

日本科学未来館館長である毛利衛博士は、1990年代に宇宙で成し遂げた功績により幅広い世代に人気者となった。しかし、通算19日間も宇宙から地球を見下ろして過ごした彼はその名誉に甘んずることなく、科学とテクノロジーを誰もが楽しみ、それによりこの脆い地球の生命体を維持していけるよう、たゆみない活動を続けている。ジョナサン・デイがリポートする。

第一印象では、毛利衛博士はとても科学者には見えない。糊のきいた白衣よりも上等な三つ揃えが似合いそうな彼の颯爽とした外見は、「博士」というアカデミックな肩書きにそぐわない感もある。

毛利氏は北海道大学で化学の修士課程を修了後、南オーストラリア州立フリンダース大学院へ渡り博士号を取得、1975年には北海道大学に戻り原子力技術の分野で助教授となった。

1980年、毛利氏は科学的功績により日米核融合共同研究プログラムにおける交換化学者の1人に選ばれた。5年後、宇宙開発事業団(NASDA)は彼を第1次材料実験計画(Spacelab-J)のためのペイロードスペシャリスト(搭乗科学技術者)に選定し、1992年には日米の共同宇宙飛行団が材料プロセスと生命科学の実験の任務を携え宇宙に飛び立った。8日間の任務の間、毛利氏はスペースシャトル・エンデバーに搭乗したNASAの乗組員とともに43の実験を行った。その中の幾つかはテレビで世界中の家庭や学校、研究室に放送され、「毛利さん」はここ日本ですっかりお馴染みの名前となった。

8年後、彼は再びエンデバーに搭乗することとなった。今回の任務はミッション・スペシャリスト(搭乗運用技術者)として、たった11日間で4,700万マイル(約7,500万キロ)分の地球表面の地図を作成するという壮大な物であった。この時軌道を周回して地球に戻る過程で過ごした268時間、この任務は彼個人に深い影響を与えた。

「私たちの任務は世界の地形の3次元データを収集するというもので、その任務の期間中、私は約200回も宇宙から地球を見ました。」お台場にある日本科学未来館の中心に位置するオフィスで、皮製の椅子に腰掛け、リラックスした様子で毛利氏は想起する。「地球はとても大きく、そして同時にとても小さいのです。」と心から述べる彼に、彼がその印象以上に偉大な人物であることを私は感じた。

「私は地球上に63億人の人々が生きている事は知っていました。もちろん人類だけでなく、他の種も含めてです。」と彼は語る。「私は宇宙からそれらの全てを、また、あれほどに薄い大気の層がどのように全ての生態系を支えているのかを見ることができました。夜には、ネットワークのように繋がった膨大な量の明るい光が見えました。そして、地球が本当に巨大だということに改めて気付いたのです。その天然資源は極めて限られているのにも関らず、人類は長い歴史の中で、急激に環境を変化させ始めました。エネルギーをコントロールし、高等な技術を行使するというような科学技術の進歩こそが、環境変化の引き金になっているのです。」

「地球に戻って来てから、毎日、戦争や地域問題、地震といった天災に関するニュースを聞き、地球がどれほど脆い状態であるかを再認識しました。しかしながら、科学技術は地球を維持する一助になる事を、今こそ人々は気付くべきなのです。」

この認識により毛利氏は、特に環境維持に関し直接的に社会貢献したいという思いを強くしていた。4年前、日本科学未来館の館長に就任し、彼の経験を、科学が社会で果たす重要な役割を、人々に啓蒙する活動に行っているのである。

この博物館は、一般に「MeSci:ミーサイ(MeとScienceの頭文字から)」と呼ばれ、利用者を全ての科学の核とみなしている。コンセプトは、来館者が最先端の科学技術を自分の目で見ることにより「科学や科学技術は自分にとってどのような意味をなすのか?」と自分自身に問いかける機会を与えることである。

ガラスと金属が楕円形に融合したこの博物館は、建築的にも驚嘆に値する。博物館は全てに開かれた場所であり、どんな情報も自由に持ち込み、そして持ち出すことが出来るというコンセプトを表現するため、建物は全面がガラス張りになっている。エントランスは1階から6階まで吹き抜けになっており、そこには直径6.5メートルの地球が浮かんでいる。その表面には100万個の発光ダイオードが埋め込まれており、衛星から受信したデータをたった一時間のタイムラグで表示している。BGMは他ならぬ坂本龍一によるもので、これが館内の雰囲気にある種のオーラを加えている。この球体は「Geo-Cosmos」として知られており、「宇宙から見た地球の素晴らしい姿を分かち合いたい。」という毛利氏のたっての願いで創られた物である。

科学への親近感を分け合い、向上させることは毛利氏の信条であると共に博物館創設のきっかけでもある。「“新生”と“革新”はこの博物館を運営する上でのキーワードであり、世界中どこにもこのような博物館はありません。」彼は言う。「私たちは主に日本の最新科学と技術革新に関する展示を扱っていますが、私たちのコンセプトは従来の博物館や科学センターとは少し違っています。私たちは展示以外にも、解説者やボランティア経験を通して、最先端の現代科学や技術革新に関る科学者や技術者を育てていきたいのです。」

日本科学未来館は60人以上の解説者を雇用しており、その全てが科学や工学の異なった分野において、少なくとも修士レベルの資格を保持している。また、博物館は800人のボランティアを活用している。彼らの多くは、社会に貢献したいという定年後の科学者や技術者達、また自身の研究を補い、新進の科学者・技術者とのネットワーク作りをしたいという大学生達である。解説者とボランティアは、最先端科学を全ての人に受け容れ易くするという博物館のコンセプトには不可欠である。本来博物館の展示は、科学的素養を持たない人々には易しいものではない。しかしここでは、多くの展示は手で触れられる双方向の物であり、解説者とボランティアは来館者の一般的知識レベルでも理解できるように説明をしてくれる。

「ボランティア達はまさに展示の一部です。」と毛利氏は言う。「そしてほとんどの解説者は英語も話せます。科学的専門知識を持たない一般の方々は最新技術を“見る”ことはできますが、その背景全てを理解出来るわけではありません。目で見える物は良いのですが、目に見えない物、例えばヒトゲノムや幹細胞の研究は非常に先進的な技術です。近い将来、あなたに非常に影響を与える技術かもしれません。私たちは様々な最新技術を、展示品やスタッフを通して多くの人々に広めていきたいのです。」

Story by Jonathan Day
From J SELECT Magazine April 2005掲載
[訳:安達理恵]