ピエール・ガニェール~料理の語り部~

取材・文: Judit Kawaguchi

ピエール・ガニェールは、料理界の逸材の一人である。1977年に、初めてのミシュラン・スターを獲得し、以来、彼の素晴らしい料理と芸術的な才能は、順調に成長している。今では、7つのミシュラン・スターを持つガニェールは、今日でもなお、その料理の腕前を研鑽し続けている。彼のレストランは、パリや東京、ラスベガスなど世界8カ国に11軒あり、そのカリスマ性を窺うことができる。パリにある3つ星レストランは、『レストラン・マガジン・UK』誌上で、世界にある50のレストラン中、第3位にランクされた。この瞬間、世界のどこかで、彼の魔法のような創作物である料理を楽しんでいる人々がいる。

フランスのロアール地方で生まれたガニェールは、サンテティエンヌの町にある両親が営むレストランで、料理とサービスの基本を学んだ。「18歳の頃、様々なレストランで見習いとして働き始め、料理の技術を学びました。もちろん、料理以外のことも学びました。厨房を清掃したり、小麦粉の重い袋をかついだり、野菜の入った木箱を運んだりしました。それぞれの過程を必死で学び、吸収しました」

料理界のヒエラルキーの階段を上り続ける中で、彼の料理に対する考えは鮮明となった。「1977年、27歳の時に独立する決意をしました。フランス料理とそのサービスに対して、満足が得られなかったからです。従来のフランス料理は、保守的で、優雅さが欠けていると思いました。さらに、感性や情熱に欠けると思いました。それは、変化することはありませんでした。私には、卓越した料理の技術はなかったかも知れませんが、料理にとって一番重要となる要素、すなわち、情熱だけは持っていました。魂の込められた完璧な料理を提供したいと思いました。私の料理に対する考えとは、お腹にだけ栄養を届けるのではなく、心と精神に栄養を行き渡らせるというものです」

様々な料理について研究する中で、彼は日本食に行き着いた。それは、彼が長年探し求めていたものであった。「日本では、食べ物とは哲学であり、何かを得る方法であり、詩であり、庭であるのです。懐石料理を見れば、それが、詩の形態の最も高いところにあるものだとわかります。私は、それを学ぼうといろいろと試み続けていました。来日する前にも、それを考え続け、表現したいと思っていました。東京に来ると、とても居心地が良いです。ここで、私の料理に対する考えが、確証のあるものとなるからです。これこそが、私の追い求めてきたものなのです」

時は、1984年。独立を果たして7年が過ぎていた。「日本人は、私がそうであるのと同じように、質感と美しいディテールを愛しているので、彼らが好きです。初めて来日して以来、日本とはとても良い関係を持っています」

ガニェールは、幾度となく来日し、2005年、東京で初めてのレストランを開店した。地元の特産物を活かすことに重きを置き、新鮮な材料を求めて市場に足を運ぶのが好きである。「東京では、いつも築地市場に行きます。素晴らしい場所で、料理人にとっては天国のような場所です」

まさに、天国にいるような気分になれるのが、ピエール・ガニェールのレストランである。東京では、彼の聖地は、ANAインターコンチネンタルホテル東京の36階にある。お客さんは、薄暗いエレベーターホールから、明るく幸せに満ちたレストランフロアに入ることになる。心地よい肘掛け椅子、香り豊かな花々など、美しいインテリアの一つ一つに、ガニェールのこだわりが見て取れる。皿の一枚一枚もガニェールがデザインし、リモージュ磁器のシルヴィ・コケが制作を担当した。

「誰かと食事をする時、そこには、選択の自由があります。食事をするということは、双方向のインタラクティブな行為です。そこには、人々が集い、料理があり、会話があります。私の仕事は、お客様のために物語を創作することです。お客様が料理をお召し上がりになる時、何かを感じ取り、料理によって、お客様同士がつながれるのです。食事とは、コミュニケーションツールだと思っています」

ガニェールには、料理を通じてお客さんの心を豊かにさせたいとの強い思いがある。「私は、表現の一つの形態として料理を選びましたが、本当に私の心を突き動かすのは、人々が食事を楽しんでいる姿を見ることです。情熱的で、人生を楽しんでいる人々の姿に私は感動を覚えます。私を感動させないものは何一つとしてないと言えるでしょう。時には、果物や野菜を見て、あるいは、香水を嗅ぎ、あるいは、新聞の記事を見て、感動します。インスピレーションは、私にとって、とても大切なものです。なぜなら、そこから創作のすべてが始まるからです。この気持ちを持ったまま何か事を成し遂げるには、私は常に前を向いて歩み続けなければなりません」

60歳の今、ガニェールは一日に18時間仕事をし、週に数回、ジョギングをする。「走っていると、頭をからっぽにすることができます。それは、瞑想することと似ています。週に6時間から7時間運動をすることは、私にとって、とても大切なことです。自分の時間がなければ、神経が高ぶってしまい、良い料理は作れないでしょう」

スタッフと共に厨房で過ごす時間は、とてもリラックスして幸せに満ちた時間であるという。「一緒に仕事をするスタッフは、言うなれば私の子供のような存在です。彼らに責任を感じると共に、彼らを愛しています」東京では、家族のような雰囲気は、エグゼクティブ・シェフであるオリヴィエ・シェニョンが取り仕切る厨房だけに留まらず、ガニェールと長年仕事を共にしているミシェル・デレピンが管理する客席にまで及ぶ。ミシェルは、料理を細かなところまで説明することに長けている。その巧みな説明は、焼き網で焼かれて、アモンティラード(スペイン産の辛口シェリー酒)、アボカド、ライム、きゅうりのゼリーで和えられた帆立貝や、焼かれた茄子とキャビアが添えられたビートの根のアイスクリームなどが給仕される時に、お客さんの耳に心地良く届く。

ガニェールは、創作するユニークな料理の数々で有名だ。家庭料理と本格的な料理とを融合した料理を編み出す。

彼は、芸術としての料理をこよなく愛するが、料理の科学にも大変興味を持っている。特に、分子料理学である。ハンガリーの物理学者であるニコラス・クルティとフランスの物理化学者であるエルヴェ・ティスによって研究開発され、調理の過程を物理的、化学的観点から分析していくものである。1998年にクルティが死去した後、ティスが分子料理学の研究を引き継ぎ、それを発展させるのと同時に、ガニェールとの関係を強化した。「エルヴェから学び、互いに刺激し合えるのは大変喜ばしいことです」

ガニェールは、料理の食感と味を同等に捉えることで有名であったが、エルヴェとの出会いにより、より一層ガニェールの料理に対する想像力は高まった。

「エルヴェ・ティスは科学者であるので、材料の調合のあり方や料理のシステムがうまく適合するところを生み出すのです。彼が生み出した料理システムを異なる材料で試みました。その概念としては、調合することなど想像もつかないような材料の組み合わせを混ぜ合わせることにあります。例えば、果物と魚などがそうです。でも、最も大切な材料は、愛です。料理とは、人々に温かい気持ちと喜びをもたらすものなのです」

お客さんはもちろん、その愛を感じ取っている。世界中のグルメ好きが、ピエール・ガニェールのレストランに集まって来る。「私のファンの皆さんが、私の料理と私自身を愛していると言って下さることに驚いています。とても嬉しいのですが、驚いてもいます。なぜなら、私は料理を作り、仕事をこなしているだけに過ぎないからです。私は、特別な人間ではありません。シェフやお客様、家族や友人たちのために働くだけです。それだけなのです。私が提供するのは、実にシンプルな物語です。つまり、二時間から三時間の夢物語をお客様に提供しているのです。この街にいることを忘れ、どこか夢の彼方へ旅立つのです」

ガニェールは、彼のレストランを訪れるために、世界中を旅する。「私にとって、厨房で働くことは、それが東京であろうと、クールシュベルであろうと、変わりません。年間を通して厨房の温度は一定に保たれています。ただ、その場所や季節によって、材料が異なります。若いシェフにはシナリオを与え、大いなる表現の自由を与えます。決して、アドバイスを水のようには与えません。その街ごとの物語を編み出すのです」

ガニェールの熱狂的なファンであるならば、世界を旅して、11ヶ所あるガニェールのレストランを訪れて、その味を楽しみたいと思うであろう。彼がレストランにいる時はなおさらだ。食事の後、ガニェールはお客さんのテーブルに立ち寄り、挨拶をすることで知られている。昔のレストランでは良く見られた風景だ。

「お客様の目の輝きを見るのが好きです。お客様の喜びを共に感じること。そのために料理を作っているようなものです。一日の終わりに、なぜ生きているのか、その問いに答えなければならないかも知れません。どうして、ここに存在するのか。どうして、出会ったのか。それは、運命なのです。私の場合は、料理を通じて物語を提供しています。料理とは、人々に優しさを与えることなのです。料理とは愛なのです」

ガニェールが愛について語る時、彼は真剣である。彼のもとで働くシェフがある出来事を教えてくれた。ガニェールの青山にあったレストランが閉店に追い込まれた時、彼は若いスタッフの両親を呼び出し、こう言ったそうだ。「一人一人を見放さない。ちゃんと仕事が見つかるまで、きちんと世話をする」ガニェールは、当時を思い出して言う。「すべてのスタッフ、仕事に対して、責任を感じています。物事がうまくいけば、スタッフに感謝します。うまくいかなければ、それはすべて私の責任です」

幸運なことに、世界にあるガニェールのレストランはうまくいっている。「幸運のレシピとは、喜びを与えることです。とても単純ですが、それだけのことなのです」ソウルとモスクワでのレストランの開店を受け、幸せなお客さんが分単位で、世界で増えている。

取材・文: Judit Kawaguchi
From J SELECT Magazine, December 2010
【訳: 青木真由子】