ザ・ビート・ジェネレーション

和太鼓集団「鼓童」は世界中で30年以上も和太鼓を中心とした伝統的音楽芸能の公演を続けている。ユディ川口が、彼らの素顔に迫る。

和太鼓集団「鼓童」が産みだすパワーや激しさを言葉で表現するのは非常に難しい。

典型的な「鼓童」の公演は静けさで始まる。白と黒の法被を纏い、真っ白な鉢巻をした7人の奏者が7個の締太鼓(1本の木をくり抜いて作られた太鼓)の後ろに座り、瞑想をしている。観客はこれから何が起こるのか見当も付かず、ピンが落ちた音さえ聞こえるくらい静まり返っている ― そしてそれは始まる。会場のどこからか、空き缶をフォークでこするような音が聞こえ始める。7人の演奏者は微動だにせず、その手は太鼓に隠れて見えないため、音がどこから聞こえるのかはわからない。その音は客席に反響し、少しずつ、失ったリズムを探すメトロノームのような音に変化していく。突然、ステージ中央から甲高い音がし、残響を伴って消えていく。「モノクローム」と名づけられたこの長く神秘的な曲は、音響効果の驚くべき多様性を感じさせる。観客の期待が頂点に達したとき、張り詰めた空気を和らげるゴングが鳴らされ、3人の奏者が登場する。彼らは即座に大音響のリズムを刻み、観客はただただ驚かされる。歌舞伎役者の坂東玉三郎によって2003年に作られた名曲「巴」に先立って演奏されるこの「モノクローム」は、鼓童のパフォーマンスをその他の伝統的和太鼓演奏とは一線を画した革新的、前衛的なものに変化させるきっかけとなった曲でもある。「巴」はステージ中央に並んだ3つの平胴太鼓(胴が面の直径よりも短い太鼓)を3人で演奏する曲目で、太鼓の直径は120センチに及ぶため演奏者は小さく見える。「『巴』が出来る前は、演目は大太鼓でのソロ演奏だけでした。」鼓動のマネージャー、秋元淳は語る。「3つの平胴太鼓を同時に演奏してそのエネルギーを表現しようという坂東玉三郎氏のアイディアは非常に驚くべきものであり、同時に眼をみはる革新でもありました。私達はそのコンセプトをとても気に入り、実行したのです。」

鼓童は新しいアイディアに対し常にオープンであり、それはこの伝統音楽集団を現代に存続させるための不可欠な要素となっている。和太鼓と津軽三味線の専門誌「バチバチ」の編集者、織田真有佐氏は鼓童を日本の和太鼓演奏の革命児であると評している。「和太鼓は日本人の『鼓動』であり、DNAの一部とも言えるものです。日本人は祭や宗教的な儀式の際に和太鼓を叩きますが、鼓童によって初めて、劇場で定期的に見ることのできるものとなりました。とは言え、1970年代に初めて鼓童の公演を見たときには非常にショックを受けました。私達は祭りの際に野外で演奏される和太鼓に慣れすぎていて、劇場で演奏される和太鼓に度肝を抜かれたのです。」

1970年代に「佐渡の国 鬼太鼓座(おんでこざ)」という名前で活動していた彼らは、演奏に和太鼓の宗教的要素を一切取り入れていなかった。かつての彼らの目標は、和太鼓演奏を継承し、公演することによって、日本の伝統芸能を学べる大学を創立する資金を作るというシンプルなものだったが、彼らが現在のように有名になるまで、その計画は全く具体化しなかった。1981年、彼らは思い切った方向転換をする。名前を「鼓童」に改め、メンバーは新潟県佐渡島の鼓童村に移住、和太鼓を世界中に広める活動を始めたのである。その年の終わりには、海外遠征のための機材を集め、今では有名となった「ワン・アース・ツアー」を初めて海外で成功させた。

15年のキャリアを持ち、鼓童を世界的な音楽現象へと押し上げた立役者である和太鼓奏者、見留知弘(34)は、ツアーは鼓童の基本的信念を反映していると言う。

「鼓童の全てのショーはワン・アース・ツアーの一部です。なぜなら、私達は、人間は本質的にみな同じであると考えるからです。鼓童が目指すのは、和太鼓を通して人々をひとつにしたいということなのです。」これこそが、鼓童が30年以上に渡り世界42カ国と国内主要都市での公演を成功に導いた哲学なのだろう。

鼓童は23名のメンバー、25名の経営スタッフ、20名の研修生で構成されている。男性15名、女性5名の研修生達は旧校舎を利用した宿舎で共同生活を送っており、メンバーの指導の下2年間厳しい研修を積むが、彼らは皆その生活を非常に楽しんでいるという。それはなぜなのだろう?国立能楽堂のプロデューサーである茂木仁史氏は、日本人と和太鼓の間には独特な関係性があるという。「和太鼓は他の楽器とは全く違った、超自然的な側面を持っていると思います。和太鼓は耳で聞くのではなく、全身で空気の振動を感じるもので、そのエネルギーは霊的な力を持っていると信じられているのです。」

鼓童の和太鼓奏者、見留知弘は、それが公演であろうとなかろうと、大太鼓を演奏すること以上に幸せな時間はないと言う。「例え態度に表さなくても私は常に和太鼓に敬意を感じていますし、和太鼓が私にとってどんなに重要なものかわかっています。」

若手のリーダー的存在として日々練習に励む石塚充(25)も同じ思いを持っている。「和太鼓は耳で聞くだけの楽器ではなく、全身で感じるものです。楽しい時でも悲しい時でも、和太鼓を叩けば全てのつじつまが合い、全ての観客とひとつになれた気がするのです。そしてそれが、鼓童が世界中を旅する本当の理由なのかもしれません。同じ瞬間に同じ鼓動を、世界中の人々と分かち合うために―」

鼓童に関する詳しい情報は、鼓童のウェブサイトでご覧頂けます。http://www.kodo.or.jp/
国立能楽堂http://www.ntj.jac.go.jp/(日本芸術文化振興会ウェブサイト内)
和太鼓・津軽三味線専門誌「バチバチ」http://www.hogaku.com/(邦楽ジャーナル)

Story by Judit Kawaguchi
From J SELECT Magazine, August 2005掲載
[訳:安達理恵]