玉城:歴史の面影

玉城(たまぐすく)の正確な位置を把握するのは難しい。少なくとも慣れないうちはとくにそうだ。もとからある村の中心部、地理的特徴のあるさまざまな空間、歴史的遺構、いくつかの質素なビーチなどが一体となっているからだ。玉城を見てまわるときのスタート地点としては、地味な印象の市役所がよいかもしれない。沖縄本島の南に位置する玉城の行政の中心地だからだ。

海岸沿いにある玉城地域は、台地状の地形からなっている。島の中心部に集落が形成される小さな島々とはちがって、沖縄本島の村では、集落は海岸に沿って築かれている。玉城の丘陵地帯は、海から隆起した緑のテラスを形成している。集落内の小道や家々(伝統的な建物もいくらか残っている)は、のんびり散策するのにちょうどよいぐあいに配置され、庭には亜熱帯の植物や果物が生い茂っている。

社会・歴史的な視点からこの地域を見てまわるには、仲村渠樋川(なかんだかりひーじゃー)から始めるのがよいだろう。仲村渠樋川は天然のわき水であり、掃除や料理や洗濯に利用するために、石の水槽や階段、蛇口が整えられている。ガジュマルやフクギの木に囲まれたこのわき水は、バリ島で見かける風景を思い起こさせる。このわき水は、かつては共同体の中心的な場所だったのだろうと想像できる。少なくとも女性たちにとっては、野菜を洗ったり体を洗ったりする場所であり、うわさ話の発信地でもあった。沖縄本島の南に位置し、緑に囲まれたこの地域には、数え切れないほどのわき水がある。そのなかでも古くからの田んぼのなかにある「受水走水(うきんじゅはいんじゅ)」は、聖地として知られている。

昔ながらの地域社会の様子は、城のかたちをした、聖なる祈りの場に行ってみるとよくわかる。もとからある村の範囲は思いのほか狭く、そのことはこの村の歴史的重要性と矛盾しているように思える。沖縄の伝説によると、玉城は女神・アマミキヨがはじめて降り立った場所だとされている。この地域では古い時代の遺物も見つかっており、いまから3000年前のものも発見されている。もっとも古い城であるミントン城(みんとんぐすく)の遺構は、1000年の歴史がある。玉城地域の支配者は、12世紀ごろには中国やその他のアジアの国々と交易をおこなっていたのではないかと考えられている。

玉城は伝統的に神や宗教とのかかわりが深く、独特の神秘的・宗教的雰囲気をかもし出している。この地は昔から、神、王族、高僧(祭祀をおこなうために招かれた)とのつながりが強かった。玉城には御嶽(うたき=拝所)があちこちに存在し、なかでも浜川御嶽(はまがーうたき)はとくによく整備されている。ビーチからそれほど離れていない深い森のなかにあるが、太平洋を見渡すことができる。しかし、見学できる場所が一か所に限られてしまうとしたら、ユネスコの世界遺産リストに登録されている斎場御嶽(せーふぁうたき)が、もっともおすすめの御嶽ということになるだろう。「斎場」とは「聖なる力をもつ場所」を意味している。斎場御嶽に行くには、古い石畳の道を登っていく。

この拝所では、琉球の最高神女・聞得大君(きこえおおきみ)によって執りおこなわれる一連の複雑な儀式を通じて、琉球王に宗教的権威が授与された。今日でも沖縄の人は、観光客の流れに混じって、斎場御嶽を参拝する。亜熱帯の木々が屋根のように覆い被さっている斎場御嶽には、巨大な自然石や鍾乳石、彫刻がほどこされた拝所などがある。ここは占いの場でもあり、この地からわき出る聖なる水は、琉球王朝の将来を占うために用いられていた。

玉城を旅していると、「城(ぐすく)」という沖縄の言葉によく出会う。日本国内では、琉球語は日本語の方言だという誤った認識が広まっている。実際には、琉球語は一つの独立した言語であり、国連の調査でも六つの下位方言をもつ言語だと報告されている。少なくともその下位方言のうちの一つが、沖縄本島の南に位置する玉城で使われている。琉球語は日本語と似ているものの、スペイン語とポルトガル語ほどの違いがある。それぞれの言語の話者は、たがいの話をある程度は理解できるが、両者が異なる言語であることを認識している。

ミントン城は血統という点で重要な城だといえる。だが、近くの丘の上には、より保存状態のよい玉城城(たまぐすくぐすく)の遺構がある。この遺構には自然の一枚岩をくりぬいて造られた城門があり、それがこの城の特徴となっている(保存状態もよい)。玉城城以外の沖縄の城では、城門は切り出された石で造られている。丘の頂上まで登ると、海や内陸部を見渡せる、とびきりすばらしい景色が広がっている。城の遺構が好きな人であれば、垣花城(かきのはなぐすく)を訪れてみるのがよいだろう。この城は、玉城城と同じ道沿いにある(この道は「城ロード」と呼ばれている)。垣花城から少し離れたところには、垣花樋川(かきのはなひーじゃー)というわき水がある。沖縄南部に点在している数多くのわき水と同じように、緑に覆われた農地や、青い海を背景に、牧歌的な風景が広がっている。

しばらく歴史とは離れ、新原ビーチ(みーばるびーち)や百名ビーチ (ひゃくなびーち) にピクニックに出かけてみるのも良案だ。シュノーケリングをしたり、底にガラスをはめ込んだボート(グラスボート)に乗ったりするのも楽しい。そのほかにも、満潮時のカヤックや、ウインドサーフィンを楽しむことができる。いつでもそよ風が吹いていることが、沖縄のすばらしい点の一つに挙げられる。空気の流れが悪く、気温も上がる日本本土の都市と比べると、気温と湿度は高いものの、沖縄の空気は新鮮だ。各種の施設が充実している新原ビーチに比べて、百名ビーチは観光客が少ない。どちらのビーチも週末になると大勢の人が集まるので、ウイークデーや、砂浜にほとんど人がいなくなるオフシーズンに出かけるのがよいだろう。

海岸沿いから、漁師が暮らす小さな島である奥武島(おうじま)まで、短い橋が架けられている。ここは魚がおいしい土地であり、島内にある小さなレストランや、鮮魚の市場でその味を楽しむことができる。そのほかにも、もずくがこの島の名物になっている。もずくは岸から少し離れたところでとれる海草で、酢の物にして食べる。「くんなとぅ」という小さなレストランがあり、もずくそばを食べることができる。質素なレストランだが、昼食を食べるにはちょうどよい。また、この島をあちこち見てまわるつもりなら、少し足をのばして「奥武島海産物食堂」をぜひ訪れてみたい。驚くほどの安さで新鮮なシーフードを楽しむことができる。セットメニューには、この食堂の看板料理である魚の唐揚げが含まれている。グラスボートは、島にある小さな港から出発する。奥武島は徒歩でも20分ほどで一周できる。

玉城を美しい村だと呼ぶのは(あるいはまさに沖縄の村の縮図だと言うのは)少し心もとない気がするが、細部を観察してみるとすばらしい土地だ。目をこらしてみると、見るべきものがたくさんある。

旅行情報:
那覇から行く場合は、レンタル・スクーターを借りるのが最適だろう。那覇から糸満に向かって進み、国道331号線[★]を南下する。奥武島方面の道路標識が見えたら、左に曲がると玉城村に至る。那覇からバスで行く場合は、50番、51番、53番のバスに乗る。しかし、玉城村を歩いてまわるのはかなり大変だ。「ビーチサイドペンション・みーばる」(電話:098-948-1968)は、新原ビーチ近くの快適なペンション。おしゃれなカフェバー「浜辺の茶屋」は、若者たちの人気スポットになっている。もっともおすすめのガイドブックは、ケニー・エーマン(Kenny Ehman)の『Okinawa Explorer』(TK2 Productions)。

祭り&イベント
・旧正月の七日目(1月あるいは2月)――豊作を祈願する儀式(受水走水)
・6月――玉城のハーリー(伝統的な爬龍舟競漕)
・7月もしくは8月――仲村渠の大綱引き
・9月――獅子舞

 

By Stephen Mansfield
J SELECT 2011 February掲載
【訳: 青木真由子】