地元の農産物を食べて、環境にやさしい生活を!

何世紀にもわたって日本人は、ヨーロッパやそのほかの国々の大部分の人たちと同じように、自分が生まれた土地から遠く離れて暮らすことはなかった。
遠い昔から、日本でもヨーロッパでも、あるいはそのほかの多くの地域でも、自給自足農業があたりまえだった。そのため、地元でとれた農産物がその地域の主要な食べ物となっていた。別の地域でとれた食べ物を多少は食べることもあったが、他の国から輸入してまで食べることはまれだった。
ビクトリア時代のイギリスの旅行家イザベラ・バードは、明治時代(1868-1912年)に日本を訪れ、本州の内陸部を旅行した。彼女は著書のなかで、日本人の食事はその地域でとれた野菜と家禽類が主なものだと記している。山間部では米は非常に希少で、沿岸部から離れた地域では魚も珍しかったという。
イザベラ・バードが日本を旅行し、妹に書き送った手紙をまとめて一冊の本として出版してから120年ほどが過ぎた。その間、日本は大きな発展を遂げた。最近では、野菜や果物、保存食のたぐいにいたるまで、世界中で生産されたり加工されたりしたもののほとんどは、日本の主要な都市で手に入れることができる。
しかしながら、100年以上にわたる日本の近代化と、それに続く食の多様化への欲求は、地方や農村の大部分を衰退させてしまった。この問題は日本に限ったことではなく、世界的に見られる傾向だといえる。
日本人の味覚は、昔の日本人がもっていた標準的な味の感覚とは違うものになってしまった。輸入食品の消費が近年とみに増加しているにもかかわらず、日本人の寿命が伸びつづけているということは、健康志向の消費者にとっての選択肢が、「健康的」で「伝統的」な、魚と米と野菜を中心とする食事だけには限られないことを示している。
しかし、日本における輸入食品ブームは、世界中のさまざまな食べ物への根強い関心を示しているだけではなく、もしも日本が食糧自給率を改善しようと考えているのであれば、日本が乗り越えなければならないハードルをも示している。
日本におけるかつての食習慣(おそらくそれはかなり限定されたものだった)に関して、プラスの側面といえるのは、完全な自然農法によって作物がつくられていたという点だろう。いわゆる下肥(しもごえ)──夜間に汲み取るために英語では「ナイト・ソイル」と呼ばれている──が使われていたが、それは肥料としての利用に限られていた。成長を促進したり、病気を予防したりするために用いる化学肥料の研究は、ほとんどなされていなかった。そのため、何世紀にもわたって各地で飢饉が繰り返された農民たちは、自分が暮らしている地域とは別の地域に、自分たちで消費しきれない農作物を販売しようと考えることもなかった。したがって、輸送手段もあまり発達しなかった。このことは同時に、それによって農産物の価格が低く抑えられ、消費者にも環境にもやさしかったことを意味している。
大ざっぱな言い方をすると、20世紀以前の日本は、食料生産という点ではエコフレンドリーな国だったといえる。しかしながら今では、状況はまったく異なっている。アフリカや南アメリカのような遠く離れた国々の食材も珍しいものではなくなり、たとえそれが目の前にあったとしても、取り立てて注目されたりすることもない。
日本は今でも、米だけは自給できている。しかし、日本人の多く──とくに若者たち──は、パンやポテトなど、原料を海外からの輸入に頼っている食べ物を好むようになり、米をあまり食べなくなった。それに加えて、日本政府は日本米を海外に安く輸出しようとする政策を推し進めている。国内における人件費も増加した。また、国内の消費者動向も変化している。地域を大切にして、地域のものを購入し、消費を増やそうとする動きもあれば、世界に目を向けて、多種多様な輸入製品を利用し、お金を節約しようとする傾向もある。
米と同様に、野菜も日本人には大切な食材だが、上記の要因によって、自給への道が阻害されている。だが、最近では地元産の野菜も見直されつつある。
日本産の野菜や果物(多くは東京近郊の関東地方のもの)の写真を見てもらえばわかるように、必ずしもコストが、地元産の農産物を購入する際の障壁になっているわけではない。最近では、スーパーマーケットが地元の生産者組合などと協力して、地域で生産された農作物を直接取り扱うようにもなってきている。また、より効果的な流通のネットワークを構築することによって、価格の安定化がもたらされたり、なかには安く仕入れることができる海外の仕入れ先との競争の結果、実際に価格が下がったりしたものもある。
長期的な価格下落による生産者への影響はまだ見られるものの、販売方法や流通ルートを見直すことによって、数年後には、消費者が日本産の野菜を買い物かごに入れる回数も増えていくにちがいない。中間流通業者や物流業者の仕事を奪ってしまうという問題はあるものの、消費者にとっては節約につながるうれしい変化であり、結果的に地域経済活性化することになる。こうした変化を望む声の方が、反対の声を大きく上回ることは間違いない。
産地からスーパーマーケットまでキャベツや大根を運ぶ距離が短くなれば、カーボンフットプリント(※1)も減らすことができる。また、海外で見られるような大規模な農場と比べて、日本の生産者は限られた化学肥料や農薬しか使っていない。これら二つの点から考えてみても、上に述べたような動きが十分に検討に値するものだということは、あきらかだといえる。
国内産の農産物は、確かに今のところまだ少し高価だと言わざるをえないが、輸入された農産物と比べると、衛生的でみずみずしく、地域経済や地球環境にもよいのである。
一方で、「包装」という点に関しては、日本はまだ遅れている。リンゴのようなものでさえ、場合によっては二重、三重にラップや紙やプラスチックで包まれて売られている。ただし、何も対策がなされていないわけではない。地方に行くとよく見かける農産物の直売所や、各地の農産物を販売する物産展など、特定の場所では、消費者にとれたての農産物をそのまま提供しようとする動きもある。
おもしろいことに、東京でもまだ農業をしている人がいる。しかも、それが非常に盛んな地域もある。たとえば東京の東北部に位置する足立区では、数年前の調査によると、人口65万人のうちの600人が農家として登録している。作っている野菜は主にシソとネギで、ビルの谷間の狭い農地で栽培を行っている。
もちろん、こうした「農民」の多くは、数百平方キロメートルもの農地を保有する農家からすれば、一笑に付されてしまうような存在かもしれない。しかし日本が段階的に農作物の自給自足を目指すのであれば、その成否はこうした小規模な農家の存在にかかっているといえるだろう。地方自治体が、助成金をばらまくことで農家を保護するのではなく、地域のことを考え、地域にとどまって、できるだけ地元の農作物を購入し、冷蔵庫を地元産の野菜でいっぱいにするように住民に働きかけるようになれば、こうした小規模の農家も生き残り、成長しつづけるに違いない。
そうなれば、経済的でもあるし、最終的に環境面でも有益なのではないかと思う。さて、読者の皆さんはどのようなご意見をおもちだろうか。

 

Story by Mark Buckton
J SELECT Magazine, April 2010 掲載
【訳: 関根光宏】