デートゲーム

日本社会は絶え間なく変化を続けている。経済的には好不調の荒波を経験し、日本人の感性に合うものは西洋諸国から学び、そうでないものは受け入れを拒否してきた。社会の変化につれて、言葉も変化する。テレビのバラエティー番組や、歌の歌詞、飲み屋や日常生活の場では、常に新しい単語や表現が生み出されている。新しい言葉は日常生活の中から生まれてくることが多い。
世の中が変化するのと同じく、新語や流行語にも、はやりすたりがある。日本では数年前に、特定の社会現象を指し示す言葉が数多く作り出された時期があった。たとえば「ヤマンバ・ギャル」は、山姥(やまうば・やまんば)を語源とする言葉で、真っ黒に日焼けした顔に、黒系のファンデーションを塗り、マスカラを重ね塗りするなど、まるでパンダのような化粧で東京・渋谷に登場した若い女性を指している。目のまわりに銀白色のアイシャドーを塗り、髪の毛を脱色して乱れたような髪型にセットし、キティーちゃんサンダルを履いているのが彼女たちの特徴だった。
「ヤマンバ」は東京の街角(特に渋谷のセンター街)では「絶滅危惧種」になりつつある。その数は徐々に減り続けており、農林水産省と防衛省から絶滅宣言が出されるのではないかと思えるほどだ。
流行が過ぎ去れば、それを指し示す用語も使われなくなる。「ヤマンバ」という言葉も、すっかり耳にすることがなくなった。しかしおもしろいことに、埼玉や千葉のような都心から離れた地域に行くと、どうやらいまだに「ヤマンバ」に近い化粧を施した女性を目撃できるらしい。
「援助交際」という言葉は、女子高生などが、小遣い稼ぎのために年配の男性とデートをするなどして、金品の提供を受けることを指している。この言葉も最近ではあまり聞かれなくなった。
「援助交際」以上に日本の恋愛・結婚事情に密接に関わりがあると思われる「クリスマスケーキ」(「売れ残り」の未婚女性を意味する)という言葉も、同じように死語になってしまった。クリスマスケーキは12月25日を過ぎると売れ残ってしまうので、ケーキショップはそれ以前にすべてを売り切ろうとする。つまり「クリスマスケーキ」とは、25歳を過ぎた未婚の女性を意味しているのだが、この点に関してはこれ以上の説明は不要だろう。

草食男子

バレンタインデーを目前に控えた今、理想の男性を探している女性は、日本で話題になりつつある新しいタイプの男性像について知っておいた方がよいだろう。「草食男子」というのは、今では死語になってしまった「メトロセクシュアル」(※1)の進化形である。
「草食男子」は、恋い焦がれて生涯愛し続ける男性というよりは、親しい友達になりうるような存在である。しかし、だからといって、まったく無用な存在かというとそうではなく、彼らにも良い点がある。「草食男子」には、進んで女性と食事をしたり、深い関係をもとうとしたりするような、雑食あるいは肉食系の友人がいる可能性があるのだ。
「草食男子」はショッピングに連れ回されることをまったくいとわない(むしろ自分から積極的にそうすることもある)。というのも、彼らは自分なりのスタイルをもっていて、デパートの婦人用下着売り場に行っても戸惑うことはなく、自分が知っている健康や美容やファッションの知識について語ることが、この上なく楽しいのだ。あなたがボーイフレンドの獲得に失敗したときには、未来の理想のパートナー──かっこよくて、おしゃれで、教養がある──の役割を喜んで演じてくれる。
女性にしてみれば、一緒にいても刺激が少なく、親切で思いやりがある「草食男子」(しかも彼らは女性に対して下心がない)という存在は、男性としては役立たずだと思えるかもしれない。しかし、彼らは自ら進んでそうしているのである。彼らのことを「華やかで美しい」存在だと思う人もいるだろう。しかしその考えは間違っている。たしかに「草食男子」は、感情表現が豊かで感受性が鋭く、あなたが使っている化粧水の4倍も値段が高い化粧水──フランスのロアール地方から輸入されたもの──を使っているかもしれない。また、プラダの男性用バッグをもっていて、おしゃれでモダンなイタリアの家具ショップと見まがうようなマンションに住んでいるかもしれない。しかし彼らは、あくまでもヘテロセクシュアル(異性愛者)なのである。どんなにがんばって、「そうではない」と自分たちを納得させようとしたとしても、この点は疑いようがない。
男あさりが好きな女性とは違って、「草食男子」の関心はあくまでも自分自身のことや、それに関連した事柄にある。彼らは究極的には、自分の理想の女性は地球上のどこかにいると思っている。ところが、それを急いで見つけようとしたり、あるいは女性の方から見つけられたりする必要は、まったくないと感じている。自分のペースでのんびりと人生を楽しみ、いかなる社会的評価からも自由に生きている。「草食男子」はたしかに男性に違いないのだが、残念ながら彼らは、女性をガールフレンドというよりは女のきょうだいだと考えているのである。

 

肉食女子

最近は「婚活女子」が増えているようだ。「婚活女子」とは、「結婚のための活動」を意識的に行う女性を指している。ただし「婚活」という言葉は、男性に対しても用いられる。ここでは女性の場合に限定して話を進める。
「婚活女子」は、ただ一つのこと(=結婚)に関心をもっている。ひとたびティファニーの豪華な結婚指輪を手に入れてしまえば、その後の結婚生活では多少のことは我慢する。そしてそれに耐えきれなくなると、配偶者のバージョンアップ──つまり最近日本で急増している離婚と再婚──を考え始めるのだ。
「婚活」をする人たちは、不況にあえぐ日本において、企業の「ドル箱」だと言える。たとえば、なんの変哲もない飲食店(バー)が、「婚活バー」としてリニューアルされたりしている。「婚活バー」には独身の男女が、めんどうな「前置き」はいっさい抜きにして、直接出会うために集まってくる。
また、下着メーカーのトリンプ・インターナショナル・ジャパンは、「婚活ブラ」を発表した。婚活ブラのカップの下には、目標の結婚時期までカウントダウンできるように時計がついている。カップの間にあるハート形の指輪入れに婚約指輪を差し込むと、婚活カウントダウンが止まり、ウェディングマーチが流れるようにもなっている。
さらには『「婚活」時代』という本が、ベストセラーになっている。
「婚活女子」は、結婚したいという欲望を臆面もなく表明する。彼女たちはまるで、結婚以外にはなにも望むことがないかのように見える。なんとしても結婚したいという気持ちが、「婚活女子」を駆り立てているのだ。現実的には夢と絶望の微妙な境界線上にいるのだが、そんなことにはおかまいなく、「婚活女子」の結婚相手ハンティングは続けられる。そして遅かれ早かれ、彼女たちはその餌食となる男性を見つけ出すのだ……。それが駄目な場合、「婚活女子」はどう猛な肉食動物へと進化する。都市型捕食動物とでも言えるようなこうした女性たちは、あがめられると同時に恐れられ、いつしか「肉食女子」と呼ばれるようになった。
「肉食女子」は、自分の運命は自分で決めるタイプの女性たちだ。欲しいものは自ら積極的に手に入れる。街に出かけ、望みの男を手に入れるのだ。ただし、自分の欲求が満たされれば、男の役目は終わる。彼女たちは男を恐れていないが、まったく無感情なわけではない。彼女たちは、自分がなにを欲しているのか、きちんとわかっているのである。
「肉食女子」は、男性がせき払いをしたり、あれこれ回りくどい話をしたり、好きだと言ってくれたりするのを待っているのではなく、自分から積極的に愛を宣言する。反対に、火が赤々と燃え上がらないような場合、つまり、気持ちが激しく盛り上がらないような場合は、ひと息で火を吹き消してしまう。
彼女たちは過去の男性経験から多くのことを学んでいる。そのため、バーで出会った見ず知らずの男性でも、気に入ればその場ですぐにアタックする。あるいはギネス・ビールを何杯か余計に飲んだふりをして、男を油断させてから近づこうと画策する(男の意欲をそがないように、ほどほどに行うのがコツだ)。
「肉食女子」は戦略的に好機をうかがう熟練のハンターだ。ジミー・チュウ(※2)の高価なハイヒール、羽ばたくようなゴージャスなつけまつげ、美容院でセットした髪型、宝石を使って完璧な装飾を施したネイルは、彼女たちの武器の一部にすぎない。しかしながらその一番の特徴は、経済的に自立していることだろう。次から次へと酒を飲み、そのうえさらにテキーラを注文し、最後の一杯を飲み干したあとはタクシーに乗り、ホテルに直行する。そして、朝になると帰りの電車賃まで面倒をみてくれる。これらすべてを支払う金銭的余裕があるのだ。
おもしろいことに、「肉食女子」に関する文化人類学的研究によると、彼女たちがもっとも欲しがっている獲物は、捕まえることがきわめて難しいらしい。大勢の「肉食女子」に囲まれていても、彼らはその研ぎ澄まされた防御テクニックによって、空腹に飢えた
「肉食女子」を寄せ付けないらしいのだ。彼らは常に先手を打って、巧みな言い回しを使って「肉食女子」の攻撃をうまいことかわしてしまう。たとえば「リップ・スティックを借りてもいい?」「このジーンズ、おしりが大きく見えたりしない?」といった具合だ。そして、マキャベリ的(目的のためには手段を選ばない)な見事なひと言を発するのだ──「一緒にいると、なんだか僕のお姉さんみたいだ」。こうして、
「肉食女子」と「草食男子」の壮大な戦いは、どこまでも続くのである。
今年のバレンタインデーには、よい獲物が捕まりますように。そしてその後は……

Story by Jon Day
J SELECT Magazine, February 2010 掲載
【訳: 関根光宏】